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村上 密 Blog

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京都水族館

 京都水族館が、3月14日にオープンしました。20日の午後、京都駅から梅小路公園までは車と人で大変混みました。その後も、土日は混み合い、B205の金閣寺行バス停は長蛇の列で、多くの人は水族館まで15分程なので歩いています。アッセンブリー京都教会へはB205のバスを利用する人が多いので、これからは、京都駅から一駅、大阪寄りの西大路駅で下車して、西大路九条バス停から202のバスに乗り、西大路花屋町バス停で下車するか、15分歩くか。または、京都駅から嵯峨野線の丹波口駅で下車し、教会まで15分歩くほうが良いかもしれません。梅小路公園には、蒸気機関車館があり、子どもには人気があります。春になれば、教会まで風に乗って汽笛の音が届きます。大人の観光地だった京都に、子供の大人も楽しめる名所ができて、この界隈はにぎわうことになります。梅小路公園へは教会から徒歩で15分です。ここは、平清盛が邸宅とした西八条第跡で、仏御前と祇王の舞台です。歴史的遺跡の上に近代的な水族館ができたことになります。
by maranatha | 2012-03-30 07:38

油注がれた方

 カルト化教会では、油注がれた方は牧師のみです。その牧師が罪を犯したり、何か過ちを犯したとき、牧師は自分を守るために<油注がれた方を裁いてはならない>と主張します。これが聖書の教えだと強調します。聖書箇所は「私が、主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対できないことだ。彼は油注がれた方だから。」(Ⅰサムエル24:6)これは部下が殺すように進言したことをダビデが拒否した言葉です。「私が、主に油注がれた方に手を下すなど、主の前に絶対できないことだ。」(Ⅰサムエル26:11)これは部下が殺させてくださいと願った言葉へのダビデの拒否の言葉です。「手を下す」とは殺すことです。モーセの十戒には「殺してはならない」とあります。ダビデが部下の勧めや願いを拒否することは正しいことです。なぜなら律法には殺人未遂の者を殺してよいという教えはないからです。カルト化教会の牧師は「手を下す」を殺すことではなく、裁いてはならないと置き換えています。自分を教会内における倫理規定適用除外者、または一般の法的裁き適用除外者に置いています。さらに批難した者には神の裁きがあると恐れを抱かせたり、教会から追放しています。これはみ言葉の乱用です。サウルのダビデに対する殺意に対して、忠告をしたのは息子のヨナタンのみです。「なぜ、あの人は殺されなければならないのですか。あの人が何をしたというのですか。」(Ⅰサムエル20:32)サウルはダビデを擁護したヨナタンに槍を投げつけ殺そうとします。カルト化教会では、牧師を裁いたり或いは非難した者を擁護した者は同罪で、教会から追放されます。牧師は暴君で、独裁者で、独善者です。牧師の取り巻きは、ヘロデ大王の幕閣、律法学者よろしく、良き訪れを東方の博士から聞いても動けない木偶の坊です。このような独裁者の教会で、教会を改革することはできません。牧師を殺そうなどと思っている人はそういません。教会を良くしたいと思っているだけです。しかし、良くしようとする人は、牧師から見ると自分の教会の破壊者です。これを試みる者は非難を受けて、次々と追放されるだけです。集団離脱が経済的にダメージを与えることができるので良策です。残った人は、経済的に一層搾取され、恐怖による締め付けがあるので、耐えかねて第2陣が集団離脱するでしょう。このような離脱者に必要なものは、誤った教えの克服です。身は離れても、教えから離れなければ、恐れと不安と自責の念を抱いて過ごすことになります。どうぞ「油注がれた方」の誤った理解を、このブログを参考にして、克服してください。
by maranatha | 2012-03-29 07:24

権威主義の牧師の主張の誤り

 「私が、主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対できないことだ。彼は主に油注がれている方だから。」(Ⅰサムエル24:6)この聖句は、権威主義の牧師やカルト化した教会の牧師が、自分たちへの非難や攻撃、あるいは裁判の提起を回避するために良く引用する聖句です。。彼らは「油注がれたものに手をかけてはいけない。」といって、自分をサウルの立場に置き換えています。サウルこそ油注がれたダビデを何度も殺そうとした張本人です。サウルは、ぺリシテとの戦いで戦死します。だから、牧師は飛躍して、「人は油注がれた者をさばいてはいけない。神がさばかれるから、放っておきなさい。」と主張します。「手を下す」とは殺すことです。だれも牧師を殺そうなどとは思っていません。問題を起こした権威主義の牧師に反省と謝罪を求めているだけです。しかし牧師は、それを回避するために聖句を悪用します。サウルは「あなたは私より正しい。あなたは私に良くしてくれたのに、私はあなたに悪いしうちをした。」(Ⅰサムエル24:18)といって反省しますが、この聖句を用いる牧師は反省をしません。自分の都合のために使うからです。牧師を裁くことのできるのは神だけであると信じ込まされている人は、聖句によって服従を要求されているだけです。裁くのは神だけでしょうか、サムエルは神の裁きの宣告をⅠサムエル28章15節から19節で告げています。神の教えに従わないならば、神に従う人によって裁かれます。教会の中で民事や刑事問題が起きたとき、その問題を解決するのは牧師だけではありません。役員会があります。役員会が牧師に牛耳られていたら、総会で取り扱うことはできません。総会は、牧師の招集が必要だからです。程度によりますが、裁判を通して問題を扱うしか道がありません。もちろん仲介者を入れて和解の道もあります。聖書には悪い王を正すために、預言者が登場してきます。神以外に、神の呼びかけで、王をさばく人物が実際に出てきます。神にしか、さばくことはできないとは嘘です。旧約には、「あなたの部族ごとに、さばきつかさと、つかさたちを任命しなければならない。彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。」(申命記16:18)と書いてあります。新約にも教会での罪の解決方法(マタイ18:15~20)があります。
by maranatha | 2012-03-23 08:01 | 権威

権威の乱用

キリストは仕えることを教えた。「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う人は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(マルコ10:44、45)」ペテロも次のように教えた。「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」(Ⅰペテロ5:2、3)両者に共通するのは、仕える者の姿である。

現代に生きる牧師は、現代的な指導者像を求めがちである。信徒も同様な指導者像を求めるなら、共に聖書が教える指導者像から離れてしまう。カルト化した教会の牧師は、強制、利得、支配の三拍子がそろっている。反聖書的な指導者である。このような牧師が牧会する教会に権威の乱用が多いのは当たり前である。仕える指導者は、自主、無死、模範である。


by maranatha | 2012-03-22 14:52 | 権威

竹内一雄裁判

 竹内一雄を相手取った、平成22年(ワ)108号貸金請求事件の判決が3月9日に下されました。残念ながら、原告の請求は棄却されました。この裁判の中で、竹内一雄は反訴しています。その反訴も棄却されました。竹内の支持者たちの考え方は、「さばいてはならない。」「クリスチャンは裁判をすべきでない。」と考える人々です。ところが、竹内一雄自身が裁判を提訴していることを知っている人は少ないと思います。反訴「(1)原告は、被告竹内に対し、1500万円及びこれに対する平成22年2月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(2)原告は、被告竹内に対し、本判決確定の日の直近に発行する朝日新聞朝刊全国版社会面報告欄に別紙記載1の内容の謝罪広告を同記載2の条件で1回記載せよ。」は棄却されました。原告と訴訟代理人は判決文を検討し、納得いかない判決に対し、控訴しました。牧師に対する貸金請求と不当な支配下で性的搾取に置いたとする不法行為に対する裁判は、多くの注目を集めましたが、最終決着までまだ時間が必要です。

 近年、牧師の不祥事がメディアで取り上げられようになってきました。牧師と言えば清廉潔白のイメージが定着していますが、それも最近は崩れつつあります。特に、カルト化した教会の牧師による不祥事が多発しています。不祥事の内容は、性的搾取、金銭トラブル、暴力、精神的虐待、規則に基づかない教会運営によるトラブル等です。信徒が強権的な支配の中で、不当な罪意識を植え付けられ、精神的混乱に陥ると言ったことも多発しています。牧師が説教や牧会の中に聖書を正しく反映していないことが大きな原因です。個人や教会を信頼しすぎて、依存を深めれば深めるほど被害にあっています。牧師を神格化したり、権威化しすぎたりしてもいけません。これは、宗教団体に対しても言えることです。
by maranatha | 2012-03-14 22:01 | 竹内一雄

花粉症とラクトフェリン効果

 春は、花粉症を発症してから、毎年憂鬱な季節です。毎年アレジオンを服用しています。それでも、日中は鼻水でズルズル、就寝中は鼻づまりでのどがカラッカラです。今年もアレジオンを服用していますが、2月からLIONのラクトフェリンを飲み始めました。3月の上旬で花粉の症状がまだ出ていません。毎年2月前後で鼻水が出始めるのですが、今年はスッキリした状態です。いつまで続くか分かりませんが、症状が軽減されたことは確かです。同じ苦しみを抱えている人に、うれしい情報を提供します。
by maranatha | 2012-03-10 21:55

裁判

さばきつかさの任命
 「あなたの神、主があなたに与えようとしておられるあなたのすべての町囲みのうちに、あなたの部族ごとに、さばきつかさと、つかさたちを任命しななければならない。」(申命記16:18)

さばきつかさへの心得と約束
 「彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたよって見てはならない。わいろを取ってはならない。わいろは知恵ある者の目をくらませ、正しい人の言い分をゆがめるからある。正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる。」(申命記16:18~20)

裁判の勧め
 「町囲みのうちで争いが起こり、それが流血事件、権利の訴訟、暴力事件で、あなたのさばきかねるものであれば、ただちに、あなたの神、主の選ぶ場所に上り、レビ人の祭司たち、あるいは、その時に立てられているさばきつかさのもとに行き、尋ねなさい。彼らは、あなたに判決のことばを告げよう。」(17:8,9)

証人の必要性
 「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさの前に立たなければならない。」(申命記19:15~17)

調査と判決
 「さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしたのであれば、あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」(申命記19:18、19)

 以上は、約束の地でのさばきについて書いてある箇所です。イエスの時代にも裁判所がありました。地方裁判所と最高裁判所の話がマタイ5章21節方26節に書いてあります。また、不正な裁判官のたとえ話も出てきます。イエスは教会のなかで、どのようにさばきを行うかをマタイの福音書18章15節から20節のなかで述べておられます。これはマタイの福音書16章19節で「天の御国のかぎ」と語られた詳しい内容です。見当違いの話がたくさん語られていますが、「天の御国のかぎ」は、やがて誕生する教会のなかで起きる問題をどのようにさばくかという教えです。イエスは裁きの権限を教会にお与えになったのです。それにはユダヤの共同体のなかで行われた教えも含まれています。
 さて、現代の教会の中で、特にカルト化した教会のなかで、さばきはどのようになっているでしょうか。聖書に基づくさばきはなく、権威主義の牧師による身勝手なさばきが行われています。また、牧師が罪を犯した場合、だれも彼をさばく人がいません。「赦してあげなさい。」が強調され、被害者への謝罪もなく、償いもありません。このような状況下に置かれている被害者の支援活動を7年前からしています。教会のなかで正しいさばきが行われない場合、世俗の裁判を勧めることもあります。
by maranatha | 2012-03-06 08:54 | 裁判

『GEQ大地震』

 柴田哲孝は阪神淡路大地震の事実をもとに『GEQ大地震』(角川文庫)で大胆な仮説を提示しています。もし、続編が東日本大震災との関連で再び小説化されるならば、購入して読みたいと思います。取り上げてほしいところは、阪神淡路大震災後の自衛隊法の改正、原子力災害対策特別設置法制定、米軍の動向、防衛庁が防衛省に昇格したことです。1995年1月17日5時46分に発生した阪神淡路大地震に対して、「災害対策本部」設置は兵庫県は7時で防衛庁は11時です。兵庫県知事からの自衛隊派遣要請は10時です。一方、2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震に対して、防衛省の「災害対策本部」設置は14時50分です。さらに、自衛隊派遣要請は岩手県知事は14時52分、宮城県知事は15時02分で、福島県知事は約2時間後の16時47分です。県と防衛庁の初動体制は阪神淡路大震災に比べ格段と進んでいます。柴田はあまりにも早い対応に何らかの仮説を立てることでしょう。『GEQ大地震』の内容には触れません。読んでのお楽しみです。
by maranatha | 2012-03-05 17:58
宗教問題