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村上 密 Blog

<   2012年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

うだつ

 最近、徳島県美馬市脇町の「うだつの町並み」のパンフレットを見ました。藍が町に富をもたらしたこともそれで知りました。最古のうだつは1707年につくられたものです。言葉を調べると、平安時代に「うだち」、室町時代に「うだつ」と変化しています。なぜ、この記事を書く気になったのか、それは、ANAグループ機内誌「翼の王国」の150ページに沙渓の古い店舗建築の写真が掲載されています。そこにうだつが写っていたからです。うだつの説明がないので見過ごしてしまいがちですが、脇町のうだつのパンフレットを最近見たばかりだったので、驚きました。「今残る町の造りは、おおよそ明・清代(1368~1911)に築かれたもの。」とあるので、建物としては、脇町より古いうだつとなります。平安時代のうだちは中国から渡来した建築用語と思われるので、歴史的には中国が起源でしょう。脇町の人にこのことを知ってほしいのと、「翼の王国」を手にした方に、この写真を注意して見てほしくて、記事を書きました。ついでに、154ページの右上に「瓦猫」が掲載されています。家の屋根にお守りとして飾るものです。沖縄のシーサーになんとなく似ています。京都では鍾馗(しょうき)が魔よけとして屋根に飾ってあります。こちらは瓦でできた人物像です。興味のある方はインターネットで検索してください。
by maranatha | 2012-05-24 21:31

ラクトフェリン効果

 花粉症の症状が治まりました。花粉症を発症してから35年、今年が一番症状が軽く、期間が短い年でした。毎年医師から処方された薬を飲んでいますが、症状が治まるわけではありません。くしゃみ、鼻水、鼻づまり、のどや目のかゆみ、発熱があります。スギやヒノキの花粉がない国や県に移住したくなるような気持になります。しかし、今年はインターネットで知ったライオンのラクロフェリンで嘘のようにいろいろな症状が軽減しました。薬ではないのに薬より効く健康食品です。ちなみに私はサプリメントを常飲しません。出来るだけ食べるものから自然に栄養を吸収することを信条としています。そんな私が手を出して常飲しているのはラクトフェリンだけです。花粉症で悩んでおられる方は、ぜひ試してください。これは「福音」(良い知らせ)です。
by maranatha | 2012-05-17 17:30

京都の風景

 京都に住んで、25年が過ぎました。私の最も好きな京都の風景は、桂川の西大橋から夕暮れ時に見る高尾の山々です。墨絵のような風景が気に入っています。次に、鴨川の賀茂大橋から眺める東山連峰です。いずれも山と川が風景の中にあります。京都は大きな都市ですが、緑も多く、自然が身近にあります。疲れて気分を変えるときは、紙屋川を取り込んだしょうざん光悦芸術村を散策します。ここには豊臣秀吉が築かせたお土居の後があります。京都市内を一望する京見峠は杉が成長し、景色が台無しになりました。仁和寺から歩いて宇多天皇大内山稜へ行く途中に、京都を一望できる場所があります。その景色の美しさは美事です。教会の墓地の掃除に行った折、山を登って見つけました。広沢池から北側を望む風景は一幅の絵です。人は住みついたところに美しい風景を見つけ、心を休めます。私はどうも山がないと落ち着かないようです。子供のころに阿蘇の山々を見て育ったからかもしれません。
by maranatha | 2012-05-17 15:24

ペンテコステの意義

 キリストの公生涯の第一声は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)です。その後、キリストは12弟子を選び派遣されます。しかし、派遣の地域は限定されています。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国は近づいた。』と宣べ伝えなさい。」(マタイ10:5、6)ただし、イエスご自身は異邦人にもサマリヤ人にも天の御国(福音)を伝えておられます。いつ、天の御国が弟子たちによって異邦人に伝えられるようになったか、それは、キリストが十字架と復活を通して宣言された言葉にヒントがあります。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。・・・」(マタイ28:18、19)ルカは「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)と言っています。限定された地域から全世界へ天の御国が伝えられるようになったのは、ペンテコステの日からです。教会歴の聖霊降臨日(ペンテコステ)が近づいてきました。日本のキリスト教の現状を考えるとき、いまこそ、聖霊の助けと力が必要です。
by maranatha | 2012-05-17 15:23

相続

父から子へ
 私がまだ幼かった頃から、父は「お前には残すものはない。だから、頭の中に入れるだけ入れてこの家を出て行きなさい。」とよく言っていました。。66歳で天に召され、家族で集まったとき、私は父の言いつけを思い出し、相続分を放棄しました。妹も「私もいらない。お父さんとお母さんが一所懸命働いたのだから、お母さんが使ったらいい。」と言って相続分を放棄しました。それで父の遺産は、母と兄が相続しました。いまでも私はこの判断を良かったと思っています。そして、父の言葉を聞いていない妹までが、私と同じようにしたことに驚きました。妹は二十歳前後に父に反発していました。その後関係が修復し、よく両親の面倒を見てくれました。家のことを心配しないで、心置きなく牧師の働きに専念できたのは、兄と妹がいたからです。あるとき、私が妹に「だれが一番お金を使ったかな。僕は兄だと思うんだが。」と言うと、妹は「密兄ちゃんたい。」と返答しました。妹の発言を私は否定しませんでした。「頭に入れて」を言われた始めた頃は、何のことか良く分かりませんでした。しかし、だんだん教育に関する費用であることが分かってきました。確かに、父は私の教育に関しては半端ではありませんでした。「教育ママ」という言葉がありますが、父は「教育パパゴン」でした。それで、私の相続は土地ではなく、頭の中の知識となりました。

神こそ相続地
 聖書の中に、イスラエルの12部族が土地を相続するところがあります。ところが、アロンに対して主は言われました。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当て地であり、あなたの相続である。」(民数記18:20)また、レビ部族にも「レビには兄弟たちいっしょの相続地の割り当てはなかった。あなたの神、主が彼について言われたように、主が彼の相続地である。」(申命記10:9)この聖句は、私にとって喜びであり、深い慰めです。私は何かを失った時、「主よ、私は人生の中で一番価値のあるものをいただきました。それは救いです。これ以上のものはこの地上にありません。救いは、どんなにお金を積んでも買えません。私はこのもっとも高価なものを、あなたからただでいただきました。ありがとうございます。」このように祈ると、失ったものに未練を抱かなくなります。主は与え、主は取られる。主のみ名は誉むべきかな。

再び父から子へ
 
 さて、相続のことで、今度は私が子供たちに教える立場になりました。子供たちが中高生になった頃から、3人の子どもたちを集めて「私たちには土地も家もない。この家は教会が牧師家族のために使わせていただいているもので、私たちのものではない。」預金通帳を前にして一番上の子に「ここに通帳がある。お父さんとお母さんが、あなたのために貯めてきたものだ。大学に進みたかったら、これを使いなさい。だだし、全額は貯まっていないから、奨学金を得て大学に進みなさい。使わないなら、下の子に二分してあげる。」二番目の子に「あなたにも預金してある。あなたが大学に進学したいなら、これを使いなさい。ただし全額は貯まっていない。大学に進みたかったら、奨学金を得て、学びなさい。使わないなら、全部弟にあげる。弟も使わないなら、神学生のために捧げる。」と何度も言って聞かせました。全員が大学に進みました。幸い子供たちは信仰を受け継いでいます。子供たちは十分ではありませんが、頭の中に入れるものを入れました。本当の相続は、神をいただいていること、信じていることだと、いつか心の底から分かってくれることを祈っています。信仰の遺産こそ、最も尊いものです。
by maranatha | 2012-05-16 22:43

声を上げる

 アパルトヘイトが南アフリカで長く続いたのは、教会がその支持者であったことが原因のひとつです。自分を愛するようにあなたがたの隣人を愛しなさい。教会は、この聖句に段階を設けて、隣人愛の勧めを、差別を助長する言葉として利用しました。それは聖書の教えではなく、イデオロギーです。教会は神の言葉で行動を正当化すると、それに反対する人に対して不信仰のレッテルを貼ります。そう思われたくないので、信者は教会の教えの中に自分を置きます。問題を正そうとする人はおかしな人ととして、悪くすれば追放されます。それは間違った教会からであり、神からではありません。神と教会が必ずしも一致しているわけではありません。時には自分で吟味し、信仰と確信に基づいて、声を上げる必要があります。自分の良心と信仰を偽って、組織や権威にへつらうのは、精神の堕落です。時代が経たないと分からない間違った教えもあります。教会による魔女狩りもそうです。今日の悪魔祓いや悪霊払いは、リベラルな陣営からはおかしなことをしていると映っています。なぜなら、悪魔や悪霊の実在を信じないからです。福音派やカリスマ・ペンテコステ派、カトリックは悪魔や悪霊の存在を信じていますから、悪魔祓いと悪霊払いを実践するところもあります。カトリックでは慎重にエクソシストを養成しています。しかし、福音派やカリスマ・ペンテコステ派には混乱が生じています。深刻なのはカルト化教会です。病気も貧困も、その他不都合なことは全て、悪魔や悪霊の所為にします。どれだけの信者が悪魔や悪霊に憑かれていると断定されたことでしょう。悪魔や悪霊を追い出している場面は、集団ヒステリー現象です。始めは懐疑的な人でも、追放したような現象が起きると、確信へと考え方が移っていきます。人間は教え込まれた恐怖に反応するのはものです。民族によって恐怖の対象が違うのはその良い例証です。自分に悪霊がついていると思い込んだ人、思い込まされた人は、聞いている教えに反応し、現象を演じることがあります。確信がないために誘導されるからです。見えない悪霊を見たと言う牧師を霊的だと信じ込み、追従するのは未熟の証明です。見えないものを見えると言うのは嘘です。見えると言っているのはその人のイメージです。霊的権威を装うための言葉に惑わされてはいけません。ましてや、神の御住まいとなったクリスチャンの中から悪魔や悪霊を追い出すことは、神と悪魔や悪霊が同居するなどないのですから、神学的に間違いです。間違いを正す言葉より、間違いを広める本が多く出回っています。惑わされないようにしてください。
by maranatha | 2012-05-12 08:04

リック・ウォレン

 リック・ウォレンは、2009年のバラク・オバマのアメリカ合衆国大統領就任式の開会の祈祷を務めたことで、世界的に知られています。彼を尊敬し、彼の教えを実践している人は数えきれません。しかし、彼が福音的かどうかは別です。私は何回か彼の問題を過去に取り上げました。今回は、『牧師 その神学と実践』(訳者 越川弘英、坂本清音 新教出版社)で良く知られるようになったウィリアム・ウィリモンのリック・ウォレンに対する批評を紹介します。「彼の説教から神のことがあまり伝わってはこないし、そこからキリスト論も聞こえてこない。贖いについて多くが語られることはないし、贖罪については、まったく触れられない。」(ministry 2011年冬号 キリスト新聞社) これを読んだ人が、リックの本を果たしてほんとにそうかどうかを知ろうとして読んでみました。ウィリモンの指摘したとおりでした。結論は、リック・ウォレンは有名ですが、福音的ではないということです。リサーチで人々の必要を知り、それに対応した教会を作り上げました。「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々と教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」(テモテⅡ 4:3、4)この聖書の言葉を連想するのは私だけでしょうか。ministryの引用箇所の前後も読む値打ちがあります。是非読んでください。
by maranatha | 2012-05-06 21:37
宗教問題