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村上 密 Blog

<   2013年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

オスプレイ

 定期的に沖縄訪問を始めて、2月で9年目を迎えた。最近、上空から聞きなれない音が聞こえてきて、見上げてみると、噂のオスプレイである。尖閣諸島で日中の緊張が増している時に、オスプレイの登場である。『尖閣戦争勃発!』(高貴布士 コミック文庫)では、海底油田の採掘リグ奪還に使われる場面に出てくる。
 沖縄では、多くの時間をカウンセリングに費やしてきた。さて、ここ2年間、沖縄では超教派の大会がめっきり減り、静かである。「教会の破壊者」と言われもした。しかし、「破壊者」と言った牧師たちや教会の中に問題が起きて、連帯が困難になってきた。崩壊は内部からである。日本全体での超教派の大会や聖会も減少している。招かれていた講師たちの問題が発覚したからである。かつて、米国でテレビ伝道者たちが金銭問題、女性問題等で失脚してきた出来事と同じである。カルトやカルト化した教会が正義であるためには敵が必要である。私は、その敵として扱われてれてきた。しかし、私自身は宗教問題で裁判に訴えられたことも、訴えたこともない。被害者を支援してきたに過ぎない。その支援を非難する人物たちが多数いるが、裁判は被害者の合法的な手段である。その権利を否定し、世俗の法を蔑むことこそ、問題である。世俗の法と蔑むわりには、成文の「聖なる法」を持っていない。ただ、聖書から恣意的に引用して裁くだけである。
by maranatha | 2013-03-30 23:02

 例えば、信徒が教会に何度かに分けて1000万円を貸した。返してほしいと牧師に伝えると、献金だと答える。裁判をするが、裁判所は500万円しか認めない。この場合、民事は原告が証人と証拠を準備しなければならない。被害が深刻な場合は、裁判そのものが重荷である。証拠不十分であれば、不起訴である。しかし、500万円の返済を勝ち取ったとする。そうであるなら、牧師が、信徒が貸した金銭を、献金扱いしたことは嘘である。。裁判にはおのずと限界がある。しかし、牧師の嘘を公に証明できれば、その後の被害を防ぐ役割を果たすことができる。このような話はカルト問題を扱っているといくらでもある。教会でも聞かれるのは残念である。信頼関係があっても、貸し借りを証明するために、借用書を必ず書いてもらうことが必要だ。返済期限を記入しておけば、返さない場合、取り立てがし易い。
by maranatha | 2013-03-29 19:50

源為義

 源為義の墓が教会の近くにあることが分かった。七条商店街の一角に石碑が立っているのを、通りがかった車の中から見た。インターネットで検索すると、頼朝や義経の祖父である。
 散歩の折り返し点に源為義が住んだ六条館(堀川五条下る)がある。その邸内には古くから左女牛井の名水があり、この名に因んだ通りが、平安京の左女牛小路(幅員約12メートル)である。現在の花屋町通で教会の北に面する通りである。教会は西堀川小路(西堀川を含む幅員は約24メートル)の上に建っている。建築の時、西側の敷地内から川の跡が出てきた。建築の基礎は1メートル20センチ。発掘調査でもう10センチ掘ると瓦が出てきた。釉のない素焼きの瓦で、土を落とすときらきらと金色に輝いた。平安時代は人工の堀川が南北に2本流れていた。一方は堀川で現存し、もう一方は西堀川で10世紀後半に廃絶したようだ。幕末には淀川と結ぶ西高瀬川が開削され、米、炭等の運搬に用いられた。西高瀬川の流路は、現在は教会から数十メートル北を西に流れている。
 源為義から話しが逸れてしまったが、歴史ある古都に住んでいると、発見の連続である。為義の墓は元は七条千本辺りにあったと言う。ここは京の七口の一つ、丹波口で、山陰道の起点でもある。
by maranatha | 2013-03-24 21:54

証言

大祭司の庭で
 3月24日から受難週である。鶏が鳴くまでにペテロがイエスを三度否む箇所は説教によく取り上げられる。イエスや弟子たちが共にいたゲッセマネの園で、大祭司のしもべにナイフで切りつけたペテロも、大祭司の庭でひとりの時は全く人が違った。いのち惜しさに、イエスの予告通り、三度否んだペテロは激しく泣いた。

カルト化教会の中で
 クリスチャンはイエスの証人であり、真実の証人であらねばならない。たとえ、真実の証言が、自分の不利益を招くとしても、不正の黙認者であってはならない。教会のカルト化は、牧師の虐待が知られても、黙認されたことにより被害が拡大した。私的な場面では、牧師の問題を語っても、それを追求しない。被害者救済に行動を起こさない。黙認と容認の中で、被害者は多くなり、やがて自分の番がやって来て、耐えがたい苦痛を覚え、教会から去る。そこには問題から避けるだけで、解決はしない。あるのは教会に残された人が被害に会い続けることである。残った人が被害を自覚するかしないかは程度の問題である。

証言の力
 証言は事実を語ることである。そこに恐れが生じるのは、自分の立場や利害が絡むからである。保身に走っては、真実から遠ざかることになる。教会のカルト化対策は、事実証言、真実の証言である。これ以上に効果的な対策はない。虐待牧師を個人的に追及しても、虐待されるだけである。第三者も交え、問題を糺し、拒絶されたら、虐待を裁いてくれる機関(公的機関や宗教団体の上部組織)に訴え、証言することである。問題は宗教内部での告発は、加害者有利に運ばれる。「赦しなさい。」を連呼するだけの無能な指導者が多すぎる。
この場合は公的機関に訴え、証言するしかない。或いは、問題解決のために代理人となって交渉してくれる人を見つけることである。証言が事実であり、真実であるなら、虐待牧師がどんなに力があっても、その立場を追われる。それが証言の力である。ここに希望がある。闇は光に打ち勝たなかった。もし宗教団体がまだ自浄作用があるなら、カルト化教会は糺され、虐待牧師はその団体に留まっておくことはできなくなる。
by maranatha | 2013-03-23 22:51

「山田博師、晃美師の処分について」

 ブログ『神々の風景』の中に、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の非公開の内部文書「山田博師・晃美師の処分について」が掲載されている。私はある人の指摘でこのことを最近知った。私も何度か山田夫妻の問題については記事を書いてきたが、さすがに非公開のことについては書くことを控えてきた。しかし、教団が厳しい処分を下したことを、不特定多数の人がすでに見ることができるようになっている。
by maranatha | 2013-03-08 22:25

黒崎幸吉

 カルト化教会の被害者から、ほとんど毎日、相談がある。そして、聖書の意味について教えてください、との質問もしばしばである。しっかり学ぶためにも注解書を勧めたりもしているが、経済的な被害を受けておられる人に、高価な注解書は、なかなか勧めにくい。今日、ふとしたことから、「黒崎幸吉著註解新約聖書」がインターネット上で無料公開さてれていることを知った。良い書なので、ここに推薦したい。
by maranatha | 2013-03-06 17:06

悔い改めと赦し

 「ペテロがみもとに来て言った『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18:21、22)これを読むと、徹底的に赦すのがイエスの教え、それが真理と思うだろう。しかし、この後に続くイエスの譬え話は、謝罪して猶予を求めている人を赦さない人を戒めている。無条件の赦しがイエスの教えではない。
 「気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ17:3、4)ルカはイエスの言葉から、赦しが条件付きであることを教えている。それも、「悔い改めます。」と言って、被害を与えている人のところに来るならと言い添えている。
 マタイはユダヤ人に福音を書いている。赦しが条件付きと書かなくても、読み手は理解してくれる。それでも譬え話で説明している。ユダヤ人は律法を知っているから、悔い改めてもいない人を赦すことはない。律法には償いもしっかり書いてある。ルカはギリシャ人に福音を書いているので、悔い改めと赦しの関係をしっかり書いている。読み手は誤解しないはずだ。しかし、なぜかカルト化した教会では赦しが無条件になっている。赦さない人は裁かれる。裁いてはいけないと言っているのに、赦さない人を裁いている。
 何でも赦さないといけないと信じている人は、正しいと信じているのであって、本当は正しくはない。悔い改めた人を赦すことが、聖書の正しい教え(真理)である。このような区別をしない教会では、何事も赦しなさいの押し付けが横行し、被害者が誤った「聖書の教え」で二重三重に被害を受けている。この現状を打破するためには、正しい聖書の理解が必要である。
by maranatha | 2013-03-05 21:23 | 赦し
宗教問題