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村上 密 Blog

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国家の一大事

 自民党は、憲法96条を改正して、憲法の発議要件を衆参両院で3分の2から衆参両院の過半数に変える提案を示している。発議要件を緩和して、憲法に拘束されている権力者(政治家とは限らない)が思い通りのことを進めやすくするためだ。96条改正後は憲法9条改正を視野に入れている。国家の一大事である。自民党は、2012年の衆院選で有権者全体の3割未満の得票で、議席の約6割を占めた。自民党の支持率は減少しているのに、議席を多くとれたのは、候補者が乱立して票が分散したからである。自民党は漁夫の利を得た。しかし、内心は支持率が減少しているので危機意識を持っている。憲法改正のために、変えやすいところから変えていく。目的のためには手段を選ばずとはこのことだ。自民党は国民の3分の1の支持を得ていない。それでいて、憲法を改正しようとしている。党を超えて改憲の賛成者を糾合してまで取り組むのは何のためであるか。憲法9条改正の先にあるもの、防衛産業振興である。すでに野田元首相のころから、武器輸出三原則が緩和が始まっている。この流れは政権が変わっても変わらない。安倍首相は日本最大の防衛産業の三菱重工と三菱グループと深いつながりがある。藩の財政が苦しい大名が、商人から借財して経営するように、経済界の支援なしでは各政党の運営は苦しい。ふところ事情の苦しい各政党が経済界や金融界に尻尾を振って、利権の拡大に手を貸しているのである。いや、彼らに政治家は利用されているのである。メガバンクができた時、財閥が復活したと見做せばいい。国家は約1000兆円の借金を抱えている。それを支えているのは金融界で、国債保有はばかにならない。憲法改正で一番利益を得るのはだれか、自民党ではない。経済界である。自民党は駒である。演繹的に現代の政治の動きを書いてみた。分かりやすくするために江戸時代の藩と商人の関係を取り上げた。昔も今も、マモン崇拝者が、利益拡大のために政治を動かすことに変わりはない。挿げ替えられる首は利用されているだけである。。内容を深めたい人は、「安倍首相と三菱」「経団連と防衛振興」「国債保有とメガバンク」「武器輸出三原則の緩和」「明治(或いは大正・昭和)の政治家たちと三菱(財閥)、或いは三井(財閥)」を検索すればよい。
by maranatha | 2013-05-31 13:09

油注がれた者

 権威主義の教会で最も悪用されている言葉は「油注がれた者」である。牧師は説教の中で、交わりの中で公言している。教会員は、この言葉を聞いて、誤って牧師を特別視していく。「油注がれた者」とはギリシャ語でキリスト、ヘブル語ではメシアである。油を注がれて就く職務は、旧約聖書において、祭司、王、預言者である。油は聖別するためのものである。これらはキリストの型である。キリストは大祭司であり、王の王であり、偉大な預言者である。キリストは3つの職務を一人で負っておられる。ところで、プロテスタントでは、キリスト者は万民祭司であると教えている。ところが権威主義の教会では、信徒は牧師だけが油注がれた者、特別な職務、祭司であるかのように教え込まれている。万民祭司を支持する聖句は「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。」(黙示1:5、6)これは、牧師を指しているのではなく、救われた人を指している。ヨハネの黙示録には牧師という言葉は出てこない。祭司は油注がれて就く職務であるから、万民祭司のキリスト者はいつ油注がれたのだろうか。油は聖霊を表している。キリストは「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられる」(ヨハネ1:32)「聖霊があの方の上に下って」(ヨハネ1:33)、大祭司としての油注ぎを受けられた。キリストの体なる教会は聖霊降臨によって誕生し、宣教の業に取り組んで行った。聖霊降臨が教会への油注ぎであり、新生の体験をした人は、このキリストの体なる教会に組み合わされ、聖霊の内住を受けて、祭司としての油注ぎを受ける。キリストの「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」(使徒11:26)「キリスト者」と呼ばれるのはキリストの教えに従って生きているからである。信じる者への新しい呼び名、称号である。油注がれた者にふさわしい生き方とは、支配ではなく、キリストが「仕えられるためではなく、かえって仕えるため」(マルコ10:45)生きられたように生きることである。
by maranatha | 2013-05-31 09:30

聖書の無誤性

 聖書の無誤性に関するシカゴ声明は「聖書の原典において誤りがない神の言葉であると宣言している。」(ウィキペディア)聖書の霊感についての聖書箇所は「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良き働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(Ⅱテモテ3:16,17)シカゴ声明は失われている、見たことのない原典を、誤りがない神の言葉としている。これは飛躍である。だれが見ていないものを誤りがないと断言できるのだろうか。シカゴ声明が言う「聖書」は66巻(旧約39巻、新約27巻)を指している。パウロがⅡテモテを書いたときは、新約27巻は定まっていない。そして、パウロが「聖書」と言っているのはヘブル語の旧約聖書を指している。それも、原典について言っているのではなく、シナゴーグで読まれている聖書である。パウロは限定して言っているのではない。すでに普及している旧約聖書を取り上げていっている。なぜなら、パウロは「幼きころから聖書に親しんで来た」(Ⅱテモテ3:15)と言っているからである。パウロは「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができる」(3:15)と言っている。幼き頃から親しんで来た聖書が、「救いを受けさせることができる。」(3:15)のである。また、パウロは「教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益」それゆえ「すべての良き働きのためにふさわしい十分に整えられた者となる」(3:17)とも言っている。聖書が66巻になるとは思いもしなかった時代に書いている手紙を根拠に66巻を「聖書は原典において」とは踏み込み過ぎた声明と思われる。声明文で救われるのではない。聖書によって信仰による救いを受けるのである。パウロの言うところの聖書で救われるのである。パウロの立場を私たちの立場として歩めば、十分に聖書的な信仰である。パウロは目にしていないもの(原典)ではなく、手に取って、読むことのできるもの(ヘブル語聖書)でテモテに語りかけている。声明文を作るとき、どうしても無理や飛躍が出てくる。教理が霊感されているわけではない。パウロの時代、聖書を用いて惑わしが横行していた。聖書が有害なのではなく、用いる人の解釈が誤りをもたらすので、啓発的な手紙を書いている。「どの人たちからそれを学んだか」(3:14)は当然パウロが含まれている。聖書を悪用する人が聖書をもって人を正しい信仰に導くことはできない。たとえ、救われたとしても、信仰は歪められて、有益な人には成長しない。聖書を支配の道具として用いるならば、速やかな裁きが悪用する人に下る。悪用が赦されるわけがない。それは偽教師だからである。私はシカゴ声明をそのまま受け入れてはいないが、聖書の霊感を信じている。「すなわち、聖書の預言の言葉はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」(Ⅱペテロ1:20、21)このようなペテロの言葉を信じて、心にとめ、信仰生活を過している。声明をそのまま信じている人は、私の見解に異論があるだろう。ただ、私はどんな学者が知恵を集めても、見ていないで「原典において誤りがない」は実証的な見地ではなく、もはや失われた原典を祭り上げているように思える。 なぜなら、「原典において誤りがない」を支持する聖句はどこにもない。救いは、聖書を重んじるパリサイ人によってもたらされたのではなく、イエスをキリストと信じる人々によってもたらされた。どのように解釈し、どのような立場であるかも大事である。
by maranatha | 2013-05-31 09:29 | 聖書啓示

竹内一雄氏の近況

 以前、『アエラ』誌に掲載されたことのある北愛キリスト教会の竹内一雄氏の近況を調べてみた。小さい教会であるが、多角経営をしてる。その一つが、北見国際高等学院であるが、検索してみたら、北海道庁のHPの私学審議会のところに、面接指導、試験実施施設から削除するという資料があった。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/gkj/2311shingishiryou3.pdf
(この4P目)

さらに、今年のアルファガーデンチャペルで結婚式を挙げ「最悪だった」という感想が2件。
http://loco.yahoo.co.jp/place/f9bf860c4a6b53635cb68a8a940beed27ea21bc3/

以上のことから、宗教ビジネスは上手くいっていないようだ。この情報でホッとする人がいる。そのことを重く受け止めてほしいものだ。
by maranatha | 2013-05-26 22:09 | 竹内一雄

聖書の権威

 カール・F・ヴィスロフは、『マルティン・ルターの神学』の第5章の「最終権威としての聖書」の冒頭で、ルターの次の言葉を引用している。「すべての霊は、教会の面前において、聖書を基準として、吟味されなければならない。なぜなら、聖書が太陽よりも明るい霊的な光であって、特に救いや、(クリスチャンにとっての)生活の基準を知るための光であるということは、クリスチャンにとっては、何よりもまず必要とされ、無条件の真理として保持されなければならないからである。」このルターの言葉に私は異論はない。しかし、私はルター派ではない。ルターやカルヴァンは、宗教改革を進めていく上で、ローマ・カトリック教会の権威に対して、聖書の権威を重んじた。両者はこのことでは同じ立場であるが、ルター派はルターの聖書解釈を重んじ、カルヴァン派はカルヴァンの聖書解釈を重んじている。聖書の権威が、実は誰がどのように解釈するかに重点が置かれているわけである。
 なぜ、カルト化する教会は、プロテスタントが多いのか。聖書の権威より牧師の解釈に重点が置かれているからである。神学や解釈学を十分に学んでいない牧師が、自分の教えが最も優れていると主張するのは滑稽であるが、それを信じる教会員がいる。牧師は、「預言が与えられた。幻を見た。」と語って、学びの不足を啓示形式で補っている。牧師の権威化は、啓示を受けるほど霊的に高い人と思わせることで成立する。カルト化教会は牧師が反知性の立場を取っているので、教会員の読書量は少ない。また非常に偏っている。教会員は派手なパフォーマンスに引きつけられる傾向にある。見分けるための十分な聖書知識がないうちに、従順が徹底されているため、批判精神が育たない。マインドコントロールは、情報のコントロールが使われている。情報のコントロールは牧師を権威化、神格化することで可能となる。牧師は「神の代理人」。この特徴的な言葉に気をつけることだ。権威化の顕著な言葉だからだ。使徒・預言者運動は権威化を進めている。彼らはクリスチャンが解釈より啓示を上に置くことを利用している。現代の惑わしは、油注がれた牧師による霊的解釈が権威あると信じ込ませ、自ら使徒・預言者を自称している。
by maranatha | 2013-05-22 22:00 | 権威

ブログの役割

 キリスト教系のメディアは、「建徳的精神」で記事を掲載しているので、批判的な描写は少ない。キリスト教内のムーブメントに対しては、好意的に取り上げることが多い。しかし、1980年代以降、好意的に取り上げられたムーブメントで、後に問題化したものがある。教会成長は、質的なものより、量的な追及しているのではないか、といった批判が当初あった。しかし、成長した教会が好意的に紹介されることで、メディアへの露出度が増え、洗礼者と転会者の増加を招き、さらに成長する結果になった教会がある。弟子訓練もまた、成長した教会が導入したため、これこそ教会成長の鍵と思わせるような記事があった。霊の戦いに関しては、批判的な記事と好意的な記事が並列していた。このようなムーブメントがもたらされたとき、もっと神学的視点から啓発的な記事が読者には必要である。何かが導入される時、大きな問題がすぐ起きるわけではない。しかし、次第に問題が深刻化したとき、メディアでいち早く取り上げ、警鐘をならせることはなかった。刑事事件や民事事件になって、やっと記事になっていった。記事として取り上げる難しさは分かる。それは、キリスト教系メディアの役割なのかどうかである。私は聖神中央教会事件をきっかけに、被害者の視点に立って、被害予防を兼ねて記事を書き続けてきた。匿名の誹謗中傷を受け続けながらである。教会の暗部と矛盾を批判的に取り上げるので、彼らは保身のために懸命である。「建徳的精神」が欠如している、と批判されるかもしれない。それを覚悟で、批判を継続している。求道者やクリスチャンが惑わされないためにである。「建徳的精神」ではなく批判的精神で、教会のカルト化問題にこれからも取り組んでいきたい。
by maranatha | 2013-05-21 20:46

後の雨運動の浸透

 米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド(米国AG)は、1949年第23回総会で、後の雨の教えを正式に否認する決議を採決した。その後、米国AGにおいて、この決議が撤回されたことはない。日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下日本AG)は米国AGの教理に準拠している。よって、後の雨の教えを否認する立場である。しかし、日本AGの理事および教職の中は、この歴史的経緯に反する動きがある。1つ、後の雨運動に傾倒している団体及び教職と日本ペンテコステ協議会の中で交流を続けている。2つ、後の雨運動の影響の強い日本ペンテコステ教役者大会に講師として招かれ、また参加している。3つ、後の雨運動の流れに属する牧師を、教団・教区・教会の諸集会に講師として招いている。4つ、教会独自の聖書学校に教師として招いている。このような交流により、この運動は確実に日本AGに浸透している。もはや、「聖霊派」の中では後の雨運動の影響を受けた教会と牧師が大半である。エンパワード21全日本大会の講師に「使徒」という肩書が付いた人物がいる。参加する方々は、彼を「使徒」として迎えるのか、使徒として迎えるのか、明確な区別をしているのか。このようなことを問題にすることなく、開催される大会を問題視したい。いわゆる「使徒」でさえ私は認めない。それを認めることは、後の雨の教えを許容することになるからである。後の雨の教えの問題点は、言うまでもなく「今日の預言」を聖書啓示に等しいか、その上に位置づける傾向にある。また、「覆い」という用語で「使徒的権威」を受け入れ、或いは認め、世界的なネットワークを築いている。後の雨運動は、教職制度(牧師、教師、伝道師、宣教師)で終わりの時代を乗り越えことはできない。神は使徒、預言者を回復し、その指導下で教会を再建され、世界宣教を進めようとしておられる、と信じている。この運動は、教団・教派の壁を壊し、グローバルなネットワークを構築しようとしている。その熱狂主義は、神学を軽視する傾向にあり、反知性主義である。この運動の信奉者は、従来の神学教育を否定し、教会内に弟子訓練、塾、聖書学校を設け、教会を大きくすることを、神からのビジョンとして掲げ、熱狂を広めている。後の雨運動は、当初から教団を重視せず、単立教会として教会運営する傾向にある。今もそうである。
by maranatha | 2013-05-21 15:05 | 後の雨運動

「大教会主任牧師フォーラム」から「リーダーズ・フォーラム」へ

 2005年に発足した大教会主任牧師フォーラムは、「それにしても結構あつかましい集まりの名前」(1)と主催者側が言うように、「抵抗を感じる方々からの批判があって・・・名称を変更」(2)している。新しい名称は「リーダーズ・フォーラム」。2008年の参加者はネットで判明しているが「このフォーラムは限定12名…今回初参加の3人」(3)と日記に書いてあるので、メンバーの増減が伺い知れる。京都でのフォーラムには「関東から来られたり、沖縄からの参加者も大喜び」(4)とあるので、沖縄からは儀間盛夫氏と思われる。物臭牧師の友人である。臭い関係が今も続いていることを、臭い日記で知ることができた。この日記の名称こそ変更すべきだ。

注:(1)2006年 (2)2012年 (3)2006年 (4)2012年 引用は全て「物臭牧師日記」より
by maranatha | 2013-05-18 14:49

ベニー・ヒンが結婚式

 ベニー・ヒンはスーザンと離婚騒動後、和解し、2013年3月3日、フロリダで結婚式を挙げた。参加者は1500人。ラインホルト・ボンケは祈祷。ジャック・ヘイフォードは祝辞。結婚式はYOUTUBEで観ることができる。いったいどうなっているのか。ボンケとジャックの参加には疑問を持つ人もいるだろう。このニュースは、キャサリン・クルーマンの記事を読んだ読者が、ベニー・ヒンを検索して見つけ、伝えてくれた。
参照:Wikipedia Benny Hinn Personal life(英語版)
by maranatha | 2013-05-17 07:03

CIアジアが消えた 

 「クリスチャンインターナショナルアジア」から「Arise5」に名称を変更した理由が、ホームページに掲載されていない。ブログの読者が疑問に応えてくれた。<2010年1月2日の新年コンファレンスで、ゲストスピーカーのバーバラ・ヨーダ女史が「アライズ」に名前を替えるように預言した。>名称変更は、ビル・ハモンの覆いではなく、バーバラ・ヨーダの覆いであることを表している。CIアジア佐野キリスト教会は佐野リバイバルセンターとなり、「Arise5」がホームページ上の名称となっている。バーバラ・ヨーダは何者か。ビル・ハモンならば偽預言者である。「2004年に日本に大リバイバルが起きる」と預言したが、外れてひんしゅくを買った。そのことが良く知られるようになって、不都合になったのだろうか。ホームページにも預言を出していたが、いつの間にか消されている。このグループは「使徒」や「預言者」を招いては、よく集会を開いている。後の雨運動の系譜に連なる団体である。
by maranatha | 2013-05-16 07:03
宗教問題