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村上 密 Blog

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田中信生 その光と闇

 「田中信生」、「興譲教会」、「トータル・カウンセリング・スクール」と聞いて、何を連想するだろうか。田中信生氏は、華々しい活躍をした人物だけに、人々は彼の「光」に集まった。しかし、「闇」の部分を知って、多くの人々が失望し、傷つき去って行った。昔(1980年~1999年)、「ミッション2001青年宣教大会」を岸義紘氏を中心に、田中信生氏と大川従道氏他が始めた。、後に中野雄一郎氏も加わっている。その彼らもある出来事をきっかけに田中氏から離れ去った。田中信生氏の本は、日本全国のキリスト教書店で販売されていた。しかし、いつの頃からか書棚から消えた。人が去る、友が去る、本が消える。何が起こっているのだろうか。だれも詳しいことは知らない。言えるような出来事ではなかったからだ。しかし、秘密は隠し通せるものではない。少しずつ情報が漏れ出してきた。しかし、名前を出して告発する人は現れない。田中信生氏の名誉は一夜で墜ちると分かっていても、告発する人は再度傷ついてしまう。著名な人の告発には大きな代価を払わなければならない。それは、相手の築いた人脈と経済力を相手にするからだ。田中信生氏と関係の深い人は、彼の「闇」の部分を知らないなら、間違いなく彼を庇い、非難する人々を攻撃するだろう。被害を受け、深く傷ついた人々は、一人を相手にするのではない。再び、多数によって深く傷つけられることは避けたい。精神的にどこまで耐えられるか分からないからだ。だから、田中信生氏は生き残った。彼を信頼している人々と信頼したい人々によって、今も興譲教会は活動を続けている。全盛期は過ぎた。しかし、田中信生氏の下から去った人々にとっては心残りがある。田中信生氏は本当に悔い改めたのだろうか。彼の癒しがたい性癖は止んだのだろうか。もし、本当に悔い改めているならば、失望した人や被害者が去っても、友が去ることはない。キリスト教界から、「干される」事もない。彼の現在の活動は、彼を知らないで「光」に集まる人々、彼から離れて生活を再出発したくない人々によって支えられている。一つの事実をお伝えしたい。あるスタッフの女性が、田中信生氏との関係を続けることが苦しくなって、当時の女性寮の責任者に告白した。それから、次々と問題が発覚して行った。これを聞いた仙台ゴスペルハウスに集う人々が、これが事実ならゴスペルハウスを閉じると田中氏に通告してきた。彼は仙台へ行き、これを認め、謝罪している。仙台ゴスペルハウスは閉じられた。牧師の一つや二つではない不品行に呆れ果てた人は去って行った。何が起きたのか分からない人と薄々分かっているけれども何も発言できない人だけが数人残って、現在の仙台ゴスペルハウスは数年後に再開された。本部である米沢の興譲教会の牧師たちは、この事実が本部教会内に広がらないように不祥事の隠ぺいをさせられている。確かに、悔い改めたら赦すように聖書は教えている。しかし、隠ぺいを支持した田中氏を牧師職に留まらせる教会に、自浄作用はあるだろうか。自浄作用があるならば、辞任ではなく解任がふさわしい。なぜなら、田中信生氏や興譲教会から被害者たちに謝罪がないからだ。興譲教会は、なお、人を集める田中信生氏を必要としている。教会が田中氏問題を正式に認めたら、教会は立ち行かない。教会の組織防衛と「闇」を知る断ち切りがたい人間関係が、今も「すばらしい牧師」「東北一の教会」という剝げかかった看板を飾り続けている。


補記(2014.5.2)
参考に「田中信生 記事一覧」(2014.4.15)を読者の便宜を図るために添付する。

 2014年7月29日、「田中信生 その光と闇」をブログに掲載した。この記事は、今日まで、最もよく読まれている。田中信生氏に関する記事は、この他にも掲載した。下記に、時系列にして、検索しやすいようにした。再読して、問題の深刻さを理解していただきたい。記事は、証人と資料に基づいている。推測が含まれているが、憶測にならないようにした。それは、記事の信憑性を維持するためである。

1 田中信生 その光と闇   (2013年7月29日)
2 田中信生 虚像と実像   (2013年8月2日)
3 田中信生 二度目の結婚式 (2013年8月15日)
4 田中信生 その教えと矛盾 (2013年8月16日)
5 田中信生 錬金術      (2013年10月8日)
6 米沢興譲教会「心のノート」   (2013年10月27日)
7 米沢興譲教会 会計報告の怪   (2013年11月29日)
8 米沢興譲教会 2013年教会会計の矛盾 (2013年12月3日)
9 田中信生 その光と闇   (2014年1月22日)
10田中信生 権威主義    (2014年3月2日)

by maranatha | 2013-07-29 16:44 | 田中信生

誤解されている聖句

 カルト化教会では、いろいろな聖句で教会員を恐れさせている。その代表的な聖句が「『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく」(マタイ7:21)である。クリスチャンでも救われない人がいる、と行って脅かす。この聖句の続きは「天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」と書いてある。だから、一生懸命奉仕をして、献金を献げて、牧師に従順に従わないと救われない、と教えている。都合の良い話だ。この話は、15節から23節が一つの段落となっている。「にせ預言者たちに気をつけなさい。」(15)で始まる。「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れていけ。』」(22、23)で終わっている。これは、クリスチャンへの裁きの言葉ではなく、にせ預言者への裁きの言葉である。今、自称預言者がたくさん現れている。悪霊追い出しを強調し、奇蹟を売り物にもしている。このような自称預言者たちが人を欺いたとして、終わりの日に裁きを受けるのである。クリスチャンは終わりの日に、「にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」(マタイ24:24)だから、惑わされないように気をつけなければならない。
by maranatha | 2013-07-27 19:59

クリスチャンの離婚

 離婚を禁じている教会がある。根拠にするのは「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(マタイ19:6)。しかし、その文脈では、モーセが離婚を認めたことをイエスは肯定している。聖書は離婚を絶対否定しているのではない。条件付きで肯定している。それが姦淫である。姦淫とは、結婚している夫或いは妻が他人と性的関係を持つことである。姦淫はモーセの十戒で禁じられている。それは、神の民であるイスラエル共同体の破壊につながるからである。そうであるなら、家庭内で夫から精神的・肉体的に虐待されているクリスチャンの妻は、離婚できないのか。このようなケースを牧師が牧会上相談を受けた場合、耐え忍んで、未信者の夫を信仰に導いた美談を話す。そして、夫を赦しなさいと説得する。この説得が、精神の破壊、自死に至るようなケースが起きても、それを話すことはない。相談者の人生を本当に考えているとは思えない。人命の尊重と人格の尊厳を忘れてはならない。私は、事情をよく聞き、明らかに精神的或いは肉体的ダメージが深刻な場合は、離婚に同意している。事例として、以下の場合は離婚を認めた。これは必ずしもわたしの牧会している教会とは限らない。あらゆるところから相談を受けているので、そのつもりで読んでほしい。
1、夫が妻に対して虐待を続け、子供を虐待に加わらせた。
  妻の精神的病は深刻。強制的に引き離してかくまい、後に離婚。
2、夫から首を絞められ、危うく死にかけた。調停で離婚。
3、夫が働いた給料を出さない。また、妻の働いたバイト代を取り上げ賭けごとに使う。協議離婚。
4、夫或いは妻の不貞が続く。離婚。
5、夫或いは妻としての責任の放棄。協議離婚。
6、宗教的理由。裁判で判決後離婚。

 結婚の誓約をしていない相談者であっても、離婚の相談に対応している。「神が結び合わせたものを」とあるが、世の中には、相互の愛で結ばれていない結婚もある。主人と奴隷の関係に等しい場合もある。夫が妻を非倫理的仕事に強制的に就かせている場合もある。事実婚もある。これらを、「神が結び合わせ」と言えるだろうか。カルト化教会では、牧師が一方的に結婚を勧める場合が多くある。これを「神が結び合わせ」と言えるだろうか。結婚してから相互の愛が深まり、その結婚を相互が受け入れている場合は良いとしても、結婚生活で苦しみ続けている場合は離婚を認めている。判断に後悔はしていない。離婚に関する見解は牧師個人個人によって違いがある。私は自分の判断が絶対正しいと思っているのではない。離婚の判断で紋切型に対応している牧師の判断で苦しんでいる人に判断材料を提供している。自責の念から自分を解放していただきたい。神は、肉体的いのちと精神的ないのちが損なわれようとしている危険から救ってくださるお方である。

*注 クリスチャンの離婚としたが、1、2、3はクリスチャンではない。ただし、牧師として離婚に関わった。これらのケースより、離婚の危機を乗り越えるために関わったケースの方が多かったことを書き加えておくことにする。
by maranatha | 2013-07-27 18:39

万民中央教会

 万民中央教会には、教会が監修した聖書がある。讃美歌にマンミン賛美を約120曲を加えてもいる。礼拝では、マンミン賛美がよく歌われるようになってきた。「牧者の城」という賛美は、天国にある、牧者の住まい(聖霊の住まい)を讃える歌である。「聖霊さまの歌」という賛美を歌う時には、必ず、堂会長イ・ジェロクの美化された映像が挿入されている。毎晩の祈祷会で、堂会長のために祈る前には、必ず、「聖霊きたれり」の賛美を歌っている。聖霊冒涜などの、赦されない罪さえも、牧者に悔い改めの手紙と捧げ物(献金)をすれば、救われるように神が特別に働かれると教えている。少しでも、牧者を疑ったり、MBC放送事件のことを調べたりすると、聖霊冒涜になり、罪の隔てとなり救われない、と恐怖を植え付けている。イ・ジェロクの神格化と個人崇拝。罪のとりなしのために献金を強要。いずれも、キリスト教から逸脱している。
by maranatha | 2013-07-26 13:56

万民中央教会

 韓国教会の世界宣教はめざましい。しかし、弊害も起きている。韓国のキリスト教の異端も海外に進出しているからだ。その一つに、万民中央教会がある。日本にもかなりの支部を持ている。ここでは、エストニアでの出来事を紹介したい。
URL:
http://blog.m.livedoor.jp/newskorea/article/1336276
この教会は信仰告白で健全さを装っているが、教会員はイ・ジェロクを「聖霊様」と信じている。三位一体を信じていると言いながら、聖霊が肉体を持ったイ・ジェロクにすり替えられている。
by maranatha | 2013-07-26 13:15

ブラックチャーチ

 「ブラック企業にご用心!ー就活・転職の落とし穴ー 人間を燃料のように使い潰す社会の闇が、実はあなたのすぐ隣に。」こんなPARC VIDEO&DVDの案内を見た。この案内には「ブラック企業。インターネットの掲示板から派生したこの言葉は、法律を無視して労働者を搾取し、その尊厳を奪う企業のことを指します。」とある。これは別に企業だけではなく、教会でも行われている。それで、ブラックチャーチと名付けてみた。ここでは、教会員が、牧師のビジョンの実現のために燃料のように使い潰されている。奉仕と言う名の強制労働、タコ部屋に押し込まれた献身者、献金の強制、恒常的な人権侵害、あらゆる虐待、裁判権が取り上げられて自分を守るすべを知らない教会員の群れ、収支報告もなく、親族やイエスマンで固めた役員会、牧師はやりたい放題、献金は使い放題。こんな教会の中で起きる自死、うつ病の蔓延。教会に仕える牧師ではなく、教会を支配する牧師。宣伝がうまいため、教会探しをしている人が誘われやすい。まとまりのない文になってしまった。カオスを対象に書いているのでカオスになった。あなたの通っている教会は、健全ですか。
by maranatha | 2013-07-26 13:13

使徒・預言者運動

 使徒・預言者運動の日本での活動はどうなっているだろうか。ホーム・ページからピック・アップすると「宗教法人 野上キリスト教会 寄居チャペルへようこそ」が出て来た。「寄居チャペル 中村準一(宗)野上キリスト福音教会 主任牧師 プロフィール 2007 金イスラエル師の国際使徒学校日本校より使徒職の委任を受ける。小島武 1997 日本リバイバル連盟において吟味の上、5名の長老より按手を受け、主の預言者としての任命を受ける。ここに出てくる金イスラエルはどんな人だろうか。日本のISOA国際使徒学校(internatinal school of apostles)の学長である。彼は、ピーター・ワグナーが代表になっている世界使徒連合の正会員である。
 ピーターワグナーは五役者(使徒、預言者、伝道者、牧師、教師)の回復を主張している。しかし、聖書の中に、終わりの時代に五役者が回復されるという預言はない。なぜ、五役者にこだわるのだろうか。パウロ自身は自分のことを「宣教者、使徒、また教師として任命された」(Ⅰテモテ1:11)と言っている。また、「第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者」(Ⅰコリント12:28)とも言っている。教会には様々な賜物を付与された者たちがいて、キリストの体なる教会を建て上げるのである。ピーター・ワグナーは、五役者の回復が預言されていないのに、回復を強調し、そのポストに就き、権威を振るっている。彼は、後の雨運動の影響を強く受け、正しい道から逸れてしまった。聖書はにせものが終わりの時代に現れると預言している。私たちが気をつけなければならないのは、にせものの出現である。
by maranatha | 2013-07-19 21:01 | 新使徒運動

福音派とカリスマ派の境界線

 福音派の教団の中で聖霊体験をした牧師は、従来は教団を出て、第三の波として活動してきた。カリスマ派と言われたくないための「第3の言葉」であるだけで、内容はカリスマ派である。ところが最近、カリスマ派のエリヤハウスで学びながら、教団に留まっている牧師や信徒が見られるようになった。福音派の教団の境界線は何だろうか。聖霊体験をした牧師は教団に留まり難くて、カリスマ派の学びはOKなのだろうか。JEAのカリスマ条項では、カリスマ派の教会をJEAに加盟させることはない。ところが、JEAに加盟している教団の教会が、カリスマ派のエリヤハウスで学ぶのはOKだとすると、何を問題にしているのだろうか。ジョン・ウィンバーがカルバリ―・チャーチ(主任牧師チャック・スミス)から出た時、カルバリ―の30教会はヴィンヤード・チャーチに移った。そのヴィンヤード・チャーチの中で活動していたジョン&ポーラ・サンフォードが、やがてその働きを認められなくなって始めたのがエリヤハウスである。力の伝道でよく知られたヴィンヤードは、預言も癒しもあるカリスマ派の教会である。ジョン&ポーラはインナー・ヒーリングが認められずに出たわけである。インナー・ヒーリングはユングの心理学が用いられている。ユングは心理学にオカルトや神秘主義を取り入れたことでよく知られている。ネオ・グノーシス主義の父とも言われている。エリヤハウスがニューエイジ運動ではないかとの指摘をする人がいる。おそらく、このような背景を知っているからだと思われる。カウンセリングを、クライアントの胎児体験までさかのぼってするのは、行き過ぎである。それは作られたイメージで、事実に即していない。また、トレーニングを受けてとはいえ、行き過ぎたことまで聞き出し、プライバシーの侵害に気付かない人もいる。ともあれ、私が問いたいのは、福音派とカリスマ派の境界線は一体何かである。聖霊体験は受け入れないが、カリスマ派の教えはOKなのか。カリスマ集会に参加するのは良くないが、カリスマ派の勉強会は大丈夫なのか。私は、エリヤハウスを教会には取り入れない。これからも取り入れることはない。聖書的と言うが、私には聖書的とは思えない。これは牧師個々人の聖書理解で別れるところである。最近、カリスマ派は、後の雨運動の影響をかなり受けている。

注 ジョンとポーラ・サンフードはアグネス・サンフォードの弟子である。アグネスがどんな人物かを検索すれば、ユングの心理学がヒーリングに取り入れられていることが分かる。また、ジョン・ウィンバーとヴィンヤードを検索すると、ウィンバーがいかに聖書的でないかが分かる。
by maranatha | 2013-07-18 00:18

目薬の必要な教会

 大教会主任牧師フォーラムがリーダーズ・フォーラムに名称を変更にしたことは、すでにブログに掲載した。第6回の大教会主任牧師フォーラムのメンバーが2008年の「JCGI NEWS}に掲載されたことがあった。以前は気にも留めなかったが、大川従道牧師と古林寿真子牧師を除いて、尾山令二牧師は教会成長研修所の理事長経験者であり、榊山清志(1984卒)儀間盛夫(1993卒)大橋秀夫(1984卒)村上好伸(1991卒)森本栄治(1989卒)菅原亘(1988卒)の各牧師は、JCGIの卒業生である。教団教派を問わない集いであるが、JCGIネットワーク関係者が5分の4である。それぞれの名前を検索してみると、かなり批判されている。場合によってはカルト扱いである。また、裁判で被告となった牧師も数名含まれている。
 米国は訴訟社会であるため、牧師が社会的な問題を起こせば、訴えられることが多い。オーストラリアでは、裁判に訴えられた場合の保険があると聞いた。日本ではそのような保険はない。日本では、キリスト教関係の裁判で、エホバの証人の離婚訴訟で多い。最近は教会関係の裁判が以前と比べると増えている。カルト化教会の被害相談を受けるようになって、分かったことだが、被害者は裁判を起こすことそのものを罪と教えられている。教会に留まっている限り、訴訟は不可能に近い。教会を離脱或いは脱会しても、裁判に関する予備知識はほとんどないため、泣き寝入りが多い。訴訟に漕ぎ着けるまでに、時効が成立することある。本当に限られた件だけが裁判に漕ぎ着けるわけである。それでも、教会は有利である。教会は裁判でわざわざ不利な証拠を提出する必要はない。それに比べて原告は証人と証拠をそろえなければならない。これは、裁判そのものを罪として教え込まれている元教会員にとって甚だ不利である。裁判を予測するような心構えさえないように育てられているのだから。しかし、徐々にではあるが、原告が勝訴し、事例を積み重ねてきている。裁判官は、まだ、原告が訴えるほど教会は悪くはないのではないか、という甘い見方があるように思える。先入観である。それに、裁判官は、宗教がらみは不得意な分野である。いつか、原告の訴えが報われる時が来てほしい。その時まで、原告たちは耐えなければならない。原告が敗訴したからと言って、負けたと思い込んではならない。裁判官を十分に納得させる証拠をそろえることができなかったことの方が多いのだから。それでも、被告がどんな人物で、どんな事をしてきたかを公にすることができたことは評価してよいことだと思う。欲望が満たされることを祝福と教える牧師が、正しい道を歩き続けるのは、難しい。
 最後に、大教会主任牧師フォーラムの牧師たちは、すべて、繁栄の神学の影響を受けている牧師ばかりである。それがベニー・ヒンを崇拝してきた理由である。また、後の雨運動を積極的に実践してきた牧師もいる。すなわち、教団教派の壁を超えて、異なる福音を広めてきたメンバーである。それに倣う牧師たちが増加したので、警鐘を鳴らしている。私も厳しいことを書いているが、彼らもまた、徒党を組んで私を非難している。
by maranatha | 2013-07-16 10:25

アドバイス

 若い頃、先輩牧師から、大切なアドバイスをいただいた。「一人の人に傾倒してはならない。三人の人から学びなさい。」「罪を悪魔の所為にしてはならない。罪を犯すのは自分である。誰かの所為にすれば、罪を犯したアダムとエバと同じである。」「不都合な原因を、神か悪魔かにしてはならない。多くは罪深い自分の所為である。」私を観察して語られた言葉として今でも大切にしている。聖書に「弟子はその師にまさらず、およそ全うせられたる者はその師の如くならん」諺にも「弟子は師匠の半減」とある。そうであるなら、多くの人から学び続けなければならないと思って過してきた。私はカルト(統一教会)から救われた。思考法が二元論的であった。それを克服できたのは、神と天使と悪魔と悪霊そして生きている人間もまた霊的存在者であることを自覚させられたからである。
by maranatha | 2013-07-14 06:30
宗教問題