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村上 密 Blog

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チョー・ヨンギ有罪確定か

チョー・ヨンギ有罪確定か



2014年1月28日付けの上記のブログによれば、

「チョ・ヨンギ元老牧師に懲役5年+罰金72億ウォン、チョ・ヒジュン前国民日報会長(息子)に懲役5年を求刑した」

このニュースの提供は以下である。
http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2014012109073435688


by maranatha | 2014-01-29 16:15 | チョー・ヨンギ

『牧師とは何か』

 『牧師とは何か』(日本キリスト教団出版局)が2013年4月に出版された。これをめぐって、2013年9月9日、日本キリスト教会館でパネルディスカッションが開催された。その内容が「はなしあい」(注1)に掲載されている。パネリストの根田祥一氏(クリスチャン新聞編集長)は次のように発言している。カルト化の原因を指摘し、改善を提言していて有益である。

 「今、教会で「カルト化」と言われる牧師による歪んだ支配が頻発している。反面、牧師が本来のリーダーシップを発揮できずに孤軍奮闘し、燃え尽きる例も多い。その背景には、牧師と会衆とのコミュニケーション不全が見られる。信徒は牧師に過剰な期待をかけて依存し、裏腹に期待がかなわなければ批判する。信徒牧師間の過度な依存関係と相互不信とは、実は表裏一体なのではないか。福音を教える、伝えるという教師・伝道者としての牧師だけなく、福音を「分かち合う者としての牧師」理解が必要だ。喜びを共にする礼拝者、互いに仕える模範としての牧会者像を求めたい。鍵は信徒と牧師が共に分かち合う「同労者」関係の再発見にあると提言する。」

 「過剰な依存関係と相互不信とは、実は表裏一体なのではないか」、これは考えさせられる発言である。私たちはゆとりのない社会に生きている。問題にじっくり取り組む時間がない。また、問題を解決する力を養っていない。これが依存を深める土壌である。カルト化の中で信仰を装うことは依存と距離を置くことである。しかし、問題が長引き、解決できなければ、深く落ち込み、心を病むことがある。装いは、現実の自分を受け入れない逃避であり、他人を演じることである。本来の自分に戻ることができなければ心病む。疎外されないための対策が、自分を苦しめる結果になるとはだれも思わない。カルト化牧師とうまく付き合う方法は、礼拝厳守、熱心な奉仕、多額の献金、絶対服従である。そんな生活を続けられるはずがない。牧師の貪欲に付き合うと傷は深くなる。教会を離脱すべきだ。自分を見直し、カウンセリングを受けた方が良い。牧師の解決する方法が、何でも悪霊追い出しや断ち切りの祈りなら最悪である。これは違う原因を本当の原因と思い込まされるので根本的な解決にはならない。祈ってもらう度に精神的な依存を深めるだけである。願いどおりに対応することは信仰的な対応ではない。願望はしばしば人の欲である。願望にではなく、信仰生活とそれに伴う問題に共に向き合う事が牧会である。結果は、願ったことと違った結果になっても、寄り添い、語り合い、祈り合うことで相互の理解が深まる。願望に長く付き合わされると、牧師は内心の自由を奪われる。そのことに体力と気力を奪われ、燃え尽きる。牧師は内心の自由を保つことが心への手当である。

注1 公益財団法人 日本クリスチャン・アカデミー機関誌「はなしあい」第550号より

村上密ブログの関連記事
  「教会のカルト化」「カルト化教会の問題」「カルト化教会になぜ留まるのか」
  「健全な教会を求めて」「健康な教会」

by maranatha | 2014-01-24 20:56

エリヤハウスの背景  

 1974年、ジョン&ポーラ・サンフォードは、アメリカのアイダホ州でエリヤハウスを始めた。二人は、アグネス・サンフォードから学んだことや、チャック・スミスのカルバリ―チャペルに所属していたこと、インナーヒーリングが批判されて出ることになったこと、ジョン・ウィンバーとの関係について語らない。二人は、教えていることが自分たちの経験から学んだように語っているが、インナーヒーリングはアグネス・サンフォードから継承したものである。インナーヒーリングは、聖書に基づくものではない。心理学やオカルト、ニューエイジとの関連が深い。それは、インナーヒーリングがニューエイジ系のヒーラー(神霊治療家)たちに引き継がれていることで明白だ。ヒーラーはインナーヒーリングにシンパシー(親しみ)を感じている。インナーヒーリングは、二つに枝分かれした。発案者のアグネス・サンフォードからジョン&ポーラ・サンフォードやジョン・ウィンバー、チャールズ・クラフトたちを経由して諸教会へ。もう一方は、アグネス・サンフォードからニューエイジ系のヒーラーたちに受け継がれた。牧師とヒーラーの違いは聖句が用いられているかいないかの違いである。牧師たちは、聖句を引用しながら、これは聖書的だと教える。しかし、「インナーヒーリング」という言葉自体は聖書にはない。母親の胎内にいた時まで辿り、心の傷をいやすことが聖書的かどうか分かりそうなものである。実践している人は正しいと思い込んでいる。それは、ヒーラーと同じである。『内なる人の変革』は「インナーチャイルド」と類似している。チャイルドは「子」と勘違いしやすいが、生育過程で傷つき、克服されていない感情や人格を意味する。「内なる人」と変わらない。用語が違うから、内容が違うと思いがちだが、そうではない。言葉を言い換えたり、付け加えたりするだけである。インナーヒーリングの範囲の中で説明や用語が増えているだけである。オカルト的ともいえるこの治療法が、ペンテコステ派、カリスマ、第三の波、福音派の中にまで浸透している。最近の牧師たちは、歴史的・神学的背景を問わないで、方法論から取り入れていく傾向にある。エリヤハウスの広がりを見るとき、そこには教派の壁はない。牧師たちの所属する教団がエリヤハウスについて問題視しているような動きはない。否定されるような背景があっても、それを問わないことに大きな危惧を覚える。

by maranatha | 2014-01-23 07:05 | エリヤハウス

田中信生 その光と闇

 これは、私のブログで、最もヒットしている記事である。その他にも、田中信生氏については記事を書いている。こんなに批判して大丈夫か、と心配される方もおられる。一方、悔い改めないで牧師を続ける田中信生氏をこのままにしてよいのか、と問い合わせもある。私は解任できる立場ではない。解任できるのは教会である。だから、私にできること、ブログを書くことをしている。これまで多くの情報提供があった。教会もおそらく知っている。しかし、現状は何もできていない。さて、どんな問題でも、ブログでは事実だけを掲載する方法がある。あえて私は、事実だけではなく、直接書けない人々の悲しみを読者に知っていただくために、批判を加えている。

by maranatha | 2014-01-22 17:30 | 田中信生

後の雨運動とは何か

 私は、度々「後の雨(後の雨運動)」を批判している。ところが、後の雨についてよく分からない人が意外に多いことに気付かされた。そこで、後の雨運動とは何か、について簡単に説明しているサイトを紹介したい。
http://www.gotquestions.org/latter-rain-movement.html

by maranatha | 2014-01-22 17:28 | 後の雨運動

「世界キリスト教情報」

 「世界キリスト教情報」の第1200信を読んだ。2014.1.20付であるから最新である。この中に、カトリックを悩ませている2大事件が掲載されている。タイトルは、「性的虐待で前教皇384人の聖職剥奪」「教皇が『バチカン銀行』監督体制刷新」である。384人は2011年~12年の計であり、2008年~09年の計171人を加えると、合計555人が聖職剥奪された。バチカン銀行はマネーロンダリング疑惑について触れている。興味を思える方は本文を読まれることを勧める。世界の情勢を知るために大切な役割を、「世界キリスト教情報」は果たしている。

by maranatha | 2014-01-21 18:57

名護市長選挙 

 名護市長選挙で移設反対派の稲嶺市長が再選した。自民党石破幹事長はこれを受けて、名護500億円基金の見直す考えを示している。自民党推薦の末松候補が当選したら振興基金を出すが、そうでなかったら出さない、とは露骨な話である。もし個人が、選挙応援で推薦する候補が当選したら、10億を名護振興のために寄付すると発言したら、選挙違反になるのではないか。しかし、自民党がそれをしたら許されるとはおかしな話である。このような話も自民党が政権党だからできる話で、このような利益誘導型の選挙が再開されていることを、残念に思う。名護市民は、振興基金に目がくらまず、自分たちの意志を自民党と政府に突き付けた。

by maranatha | 2014-01-20 18:05

ホープ・チャーチ スティーブン・ケイラ―牧師の人物像

 スティーブン・ケイラ―師は、後の雨(注1)の流れを受け継ぐ牧師である。この運動は、レストレーション(注2)ともいう。その教えは、健康的(ヘルシー)ではない。。ピーター・ワグナー(注3)は、この流れを継承する、有名な異端者である。どちらも、「五役者」を強調し、使徒、預言者の回復(レストレーション)を主張している。このような回復を指示する聖書箇所はない。むしろ、終わりの時代には、にせキリスト、にせ預言者、にせ教師、にせ兄弟が現れると預言されている。後の雨は、ペンテコステの歴史の中で、ペンテコステ主流派から異端とされた。この運動の代表的機関はオレゴン州ポートランドにあるポートランドバイブルカレッジである。設立者はディック・アイバーソンで、その後継者はフランク・ディマジオである。ケビン・カーナーは、このカレッジでダビデの幕屋の回復(レストレーレーション)を教えた。日本ペンテコステ親交会主催の教役者大会には、アイバーソンとディマジオがよく招聘された。彼らは、後の雨の代表的人物である。現在、日本ペンテコステ親交会にはポートランドバイブルカレッジ出身のスティーブン・ケイラ―牧師が属している。点(個人)から線(系譜)そして面(人間関係)と辿れば、人物が見えてくる。

注1 latter rain (post_World_War Ⅱ movement)-wikipedia 参照
注2 restorationを検索又は同上
注3 Peter Wagnerとlatter rainをキーワードに検索

by maranatha | 2014-01-20 07:26

村上密ブログ

私の歩み
 1976年、私は異端問題に取り組み始めた。本格的に始めたのは1981年に神学校を卒業してからである。その後、1995年の地下鉄サリン事件の頃から、カルト問題も扱うようになった。この頃、心の病のカウンセリング依頼が急増した。2005年の聖神中央教会事件から、カルト化教会の被害相談が、せきを切ったように飛び込み始めた。異端、カルトと心の病、カルト化教会の問題と、約10年ごとに大きな問題と取り組むことになった。困難な問題に取り組んだことで今の私がある。

私の立場
 私は、福音主義の立場で、JEA加盟の日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師である。カリスマとは一線を画している。1949年、米国アッセンブリーは第23回総会で後の雨運動を否認する決議をした。私はこのことを尊重している。異端・カルト問題に取り組む時代は、私の働きは多くの教会に歓迎された。しかし、カルト化した教会及びカルト化教会と友好的な教会からは、2005年頃から嫌われるようになった。異端から嫌われ、カルトから嫌われ、カルト化教会から嫌われ、35年間誹謗中傷を受け続けるている。
 教会が、教会の問題を、教会で解決しようとする。こと事自体に誤りはない。ところが、牧師は法律を学んだり、問題解決の訓練を受けているわけではない。解決能力が乏しいので、組織防衛に走る。結果的に、被害者を疎外することになる。このような疎外に耐えられる人は少ない。心を病む人が出て来た。傷ついて教会を去る人もいる。カルト化が語られる前に、工藤信夫精神科医は教会内における「信仰による人間疎外」を指摘した。これは「教会のカルト化」の取り組みの先駆けである。工藤氏は教会の中に起きている事実を指摘したために、宣教の妨げと見做す牧師たちから非難された。宣教の妨げと見做す牧師は、教会のカルト化に警鐘を鳴らす牧師たちに対して同じように非難を浴びせている。

私のこれから
 私のライフワークは、異端、カルト、カルト化教会すなわち、惑わしから人々を守り、救い出す働きである。私は惑わし(異端)から救われた。神は私を憐れみ、惑わされている人を救う使命を与えられた。私はキリスト教的イデオロギーを支持しない。異端とこれからも戦い続ける。羊の皮を被った狼を放ってはおかない。羊を襲う熊や獅子に杖と石投げ器で戦い続ける。

by maranatha | 2014-01-15 22:12

ダビデの幕屋の回復

 ダビデの幕屋の回復は、後の雨運動の教えの一つである。この他に、罪の告白は、人に対して行うことで、赦しと解放が与えられる。現代の教会は、使徒と預言者の土台の上に築かれる。按手によって、賜物が与えられる等がある。私は、ブログで後の雨運動を否定してきたが、これは私が個人的意見を述べているのではない。私の主張の根拠は、米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団大23回の総会決議である。この総会で、後の雨運動は否認されている。その後もこの決議は覆されていない。覆っていないのであるから、教団の内外を問わず、これを認めない、と言うのが私の立場である。そこで、アッセンブリーの教職が、後の雨運動を信奉する団体と交流をしたり、宣教活動で協力関係を結ぶことは、後の雨運動を容認する行為である。エンパワード21に日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師が参加したり、協力したりすることは、教団の歴史認識が欠乏している行為である。それが、米国であろうと日本であろうと、どんな立場の牧師であろうと関係ない。もし、後の雨運動を正しいと見做しているのであれば、按手礼に反する。正しい教理を伝えることが、牧師の務めだからである。
 人が罪を赦しても、神の赦しがなければ、人に救いはない。イエス・キリストが十字架で人の罪を赦してくださった、と信じるならば、神は私たちを義としてくださる、と聞いたから信じたのである。人が他人に対して罪を犯した。その赦しが欲しい場合、それは、そう人たち同士でな話し合い、謝罪と弁償で解決すればよいことである。どうして、関係ない人々にまで罪の告白をしなければ赦しと解放がないのか。罪の悔い改めを人前で行うことが、どこから始まったのか。少なくとも、カリスマ運動においては、その源である後の雨運動である。個人情報を集団の中で暴露することに何の問題も感じていなかった沖縄キリスト福音センター(美浜教会)では、礼拝の中で詳しい罪の告白が強要され、テープに録音され、販売されていた。これはプライバシーの侵害であるが、その認識がこの教会にはなかった。カリスマ運動を取り入れている教会では、多かれ少なかれ、プライバシーの侵害と取れる罪の告白が人前で求められている。使徒と預言者の土台の上に教会は築かれる。これが現代のピーター・ワグナーの使徒運動につながっている。私がこれを否定するのは、この運動が、後の雨運動の教えだからである。もちろん、福音主義神学に立つ牧師であるならば、容認できない教えである。この使徒運動を信奉している牧師が、エンパワード21の運営者の中に名を連ねている。それで、アッセンブリー教団の理事長の個人参加は、教団の責任者として、歴史認識を欠く行為である。もちろん、米国のジョージ・ウッドも同様である。これは教団への背信行為と言える。私は、アッセンブリーの教理の立場からこれを言っている。

by maranatha | 2014-01-14 18:08 | レストレーション
宗教問題