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村上 密 Blog

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罪を数えない

 キリスト教会で、教会員に紙に罪を書き上げさせるところがある。あるいは、教会員たちの前で、罪を告白させるところがある。あるいは、カウンセリングと称して、罪を思い出すだけ語らせることろがある。罪を赦すお方は神であるから、牧師やカウンセラーに語ったからと言って赦させるとは限らない。罪を清算する方法は、罪を赦して下さる神に対して、悔い改めをすることである。もし、人に損害を与えたのであれば、謝罪し、弁償すれば解決する。

 神は「イエスを信じる者を義とお認めになる」(ローマ3:26)パウロは、アブラハムとダビデを引き合いに出して、信仰による義を教えている。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」(ローマ4:3)ダビデは「主が罪を認めない人は幸いである」(4:8)「義とみなされる」も「罪を認めない」も同じである。そして、「認める」とは「数える、計算する」とも訳すことができる。「罪を認めない」とは「罪を数えない」ことである。信仰が義と認められるとは、神が罪を数えない、罪がないものとみなしてくださることである。

 クリスチャンに対して、赦されたことまで、赦されていないかの如く、悔い改めなければ裁きを招くと脅すのは正しい教えではない。カウンセリングと称して、記憶のない幼少期や母体の中にいた時まで、聞き出して、悔い改めを要求するところもある。これはキリスト教の取組ではない。罪を数えないと聖書が教えているのに、聖書的と言って罪を数えさせることは惑わしである。

by maranatha | 2014-05-26 07:41

神格化

 カルトの特徴として、教祖の神格化がある。キリスト教では、この神格化を、偶像と表現する。それで、私は、信徒が牧師を神格化している教会を、カルト化教会と呼ぶ。ここでは牧師個人への崇拝が行なわれている。ところが、このようなカルト化教会を受け入れて超教派の大会が開催されることがある。

 沖縄キリスト福音センター(美浜教会)を脱会した牧師、伝道師、信徒は、牧師が神格化されていた、と証言している。沖縄キリスト福音センターは、牧師の神格化を否定する声明を出していない。よって、今なお神格化は続いているものと思われる。このような教会がキリスト教系の番組で紹介されることが不思議でならない。牧師は、偶像に気を付けるように信者に教えていながら、個人崇拝を受けていた過去を公に清算していない。それが、精神的虐待を受けた脱会者の今も続く痛みである。アニミズムの世界では、シャーマンは神がかりした存在で、信者はその託宣を神からの言葉と受け取る。沖縄キリスト福音センターは、キリスト教とアニミズムの混交宗教的色彩の強い教会である。

by maranatha | 2014-05-21 14:45

カルトの暴走

 沈没した韓国船のオーナーの逮捕が近い。オーナーは、キリスト教系カルトのクウォンパで、教祖ユ・ビョンオンである。隠れていると思われている施設に信者が集まり、逮捕に対する実力阻止の動きがある。信者が、激しい抵抗をすれば、双方に負傷者が出かねない。16日の出頭にユ・ビョンオンは応じなかった。

 警察は、警官3000人を動員して、ユ・ビョンオンを逮捕する方針を固めた。これは、異例の対策で、日本で行われたオウム真理教の教祖逮捕を参考にしたものと思われる。

by maranatha | 2014-05-21 09:15

イメージ

 宗教トラブル相談センターには、なぜ、大きな問題を起こした人物が、超教派の大会に講師として招かれるのか、という問い合わせがよくある。招く方も、招かれる方も、問題を問題として認識していないと思われる。人間関係や興業(大会)を優先している。講師が、初期のころに問題を起こしていたら、招かれるような講師になっていなかったはずである。メディアに取り上げられ、人々に、その人物の評価が定着すると、もはや、メディアは、その人物が余程の問題を起こさない限り、その人物の問題を取り上げることはない。そのために、問題視される人物は、定着したイメージのままである。そして、その人物を知らない人々によって招かれることが続く。どこかで、だれかが、問題を明らかにしなければならない。それはリスクを犯すことではあるが、それをしなければ定着したイメージに引きつけられる人々が、将来不利益を被ることになる。「村上密ブログ」は真実な姿ではなく、獲得したイメージで評価される人物やムーブメントの問題点を指摘し続けている。反応は、問題点が分かった。離れる決心がついた。もう少し留まってみたい。批判ばかりしている。いろいろである。メディア受けする人が正しいとは限らない。それは、大衆迎合であることが多い。

人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々と教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:3、4)

by maranatha | 2014-05-19 16:51

京ことばでむすぶ「志」プロジェクト 東北支援2014 報告

5月17日、福島民報に下記の会津若松教会での公演が掲載されました。
ご支援くださった方々に報告を兼ね、記事を添付させていただきます。

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山本覚馬、新島襄、新島八重の志ある生涯を、たおやかな京ことばで語ります。
朗読は、京ことばの第一人者、中島さよ子氏、作・朗読に「京ことばの会」所属の
倉本直美氏、三部構成、公演時間50分。東日本大震災復興支援公演として、
被災地では無料上演です。なお、このたび、東北への復興支援に取り組みに当たり、
国土交通省観光庁の「賛同団体」としても取り組みます。
まずは、プロモーションビデオをご覧ください。



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公演日程
日時  4月26日(土) 午後7時 開演
会場  日本基督教団 喜多方教会
     966-0069 喜多方市稲清水2374-4
     TEL 0241-21-9123
後援  喜多方市教育委員会
     おもはん社
協力  信愛教会

日時  4月27日(日)午前9時 開演
会場  日本基督教団 会津若松教会
     965-0801 会津若松市宮町9-20
     TEL 0242-27-7997
 
日時  4月27日 (日)午後3時半 開演
会場  リバイバルクライストチャーチ  
     971-8131 いわき市常盤台上矢田町山ノ神前15-1
     TEL 0246-28-7702 
問い合わせ 0246-31-1059(成尾)

日時  4月28日(月)午前11時 開演
会場  楢葉町高久第九仮設住宅第2集会所
     いわき市平下山口字桃木沢3-1
問い合わせ 0246-31-1059(成尾) 

各地での公演要請にも応えます。そこで募金を集め、
東北の被災地では無料公演とします。
公演要請に応じますので、ご連絡ください。

連絡先 京ことばでむすぶ「志」プロジェクト 
     代表 村上恵子
     TEL 075-311-5193     
email: m.311.keiko.5193@softbank.ne.jp

by maranatha | 2014-05-19 12:51

反省と悔い改め

 5月15日の朝鮮日報、「旅客船沈没:延世大教授131人が声明発表」の記事を読んだ。「反省と悔い改めのきっかけにすべき」と呼びかけている。全文を掲載できないので、読者は是非記事を読んでほしい。「過程と原則を無視し、結果ばかり重視する・・・汚職と利権までもが複雑に絡み合った韓国社会」とある。

 私はこれを読んで、過程と原則を無視し、結果ばかり重視するカルト化教会と、そのような教会と協力し合って超教派の大会を開催するキリスト教会の姿勢が重なって見えた。反省と悔い改めのきっかけは大きな事件が起きないとなかなかできない。カルト化教会の問題は何度も起きている。対岸の火事として見ているのだろうか。どの教団の中にも、問題の教会が出てきているのに、それを問題視し、健全化に取り組むところはない。教会が大きくなり、教団への負担金(分担金)が多額であるため、扱いが曖昧になってしまう。利害が絡み合っているからである。もし、この時代に宗教改革者のカルヴィンが生きていたら、大掃除をしたことだろう。彼は厳しい人であった。利害ではなく、神学と倫理を重視して問題に取り組めば、整理されなければならない教会が随分出ることだろう。今、日本のキリスト教会は信徒の減少に直面している。自浄作用に取り組めば、教会の数は減少する。しかし、聖別に取り組めば、よい効果が出てくるのではないか。

by maranatha | 2014-05-16 09:59

慰めの詩

 秋川雅史の『千の風になって』が韓国船の沈没で亡くなられた方々の追悼式で流れていることが報道されている。「私のお墓の前で泣かないで」が「私の写真の前で」と替え歌になっているそうだ。悲しみにくれないように、亡くなった側からの慰めの言葉が、残された人の魂を打つのだろう。この『千の風になって』と同様な慰めの言葉が、トム・クランシーの『合衆国崩壊1』(新潮文庫)の中にある。

昇天

私が行ってしまい
きみがここに残ったら・・・・
知ってほしい
見えない薄いベールの向こうで
ちがう法にしたがって
私が生きつづけているということを
きみには私は見えない
だから信じるんだ
私は待っている
たがいに気づき
ともに、ふたたび、天駆けるときを
それまできみにはきみの人生を思い切り生きてほしい
私が必要になったら
心のなかで私の名をささやくだけでよい
・・・・・私はそこにいる

作 コリーン・ヒチコック

遺族の方々の慰めと平安を祈ります。

by maranatha | 2014-05-15 11:25

不信仰

 宗教トラブル相談センターには、毎日、メールや電話による相談がある。精神的虐待を受けている人が、よく口にする言葉がある。「不信仰」と言われた。この言葉が以外と深刻なダメージを与えている。この言葉を使う人は、どのような概念でこれを語るのか。聞いている人は、どのような概念でこれを受け止めるのか。両者の間には大きな違いがあるように思える。松木治三郎は「不信仰は、信仰の否定より以上、むしろ信仰の拒絶、神の約束の放棄である」(注1)と言っている。このよう意味の「不信仰」をクリスチャンに使うことは控えるべきである。

 相談者の中には、「分裂、分派」をもたらした、と牧師から糾弾された人もいる。この場合も言った方と言われた方とでは、概念の開きがある。それゆえ、糾弾された方は深刻に受け止める。「分裂、分派(ガラテヤ5:20)」は「分離、異端」とも訳せる言葉で、クリスチャンに対しては禁句である。上記の「不信仰」と同様に、深刻なダメージを与える言葉である。
 

注1 『ローマ人への手紙 翻訳と解釈』(日本基督教団出版局)P186

by maranatha | 2014-05-09 20:38

児童虐待

読売新聞は、今日(2014.05.08) 「バチカン 児童虐待で聖職者848人の資格剥奪」と報じている。

世界キリスト教情報 第1200通信(2014.01.20)は「性的虐待で前教皇384人の聖職剥奪」と報じている。

児童虐待については、カトリック内の調査が進み、処分が拡大していることが、記事の比較で判断できる。このような報道は、カトリック内での自浄作用が働いていると見るか、被害の拡大から、信用を回復することは難しいと見るか、判断が分かれる。被害者へは、莫大な損害賠償が生じる。新教皇の活動や聖人列聖式等の報道が最明部とするなら、児童虐待は最暗部である。歴史の埋もれた暗部に、今、光りが当てられている。カトリックの児童虐待で最もよく情報提供しているサイトは下記である。

salesio.tripod.com/seisyokusya_gyakutai_news/seisyokusya_gyakutai_news.html

by maranatha | 2014-05-09 20:35

説き明かし

 イエスは、マタイの福音書16章によれば、ペテロの信仰告白の後に、「わたしはこの岩の上に教会を建てます」(18)「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」(注1)と語られた。そして、「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」(21)イエスは、17章9節、12節、22節、23節、20章18節、19節でこのことを繰り返し語られた。イエスの十字架と復活は、教会が立てられるために必要だった。そして、その教会には、天の御国の鍵が必要とされている。イエスは、十字架と復活について、弟子たちに繰り返し語られたが、彼らはそれを理解できなかった。弟子たちが理解できるようになったのは、復活されたイエスが「聖書全体の中かで、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」(ルカ24:27)からである。彼らは、イエスの十字架と復活が、旧約聖書(注1)における神の約束の成就ということに気付かされ、心燃やされ、やがて、福音宣教に遣わされていく。
 
 教会では、イースターを迎え、復活のメッセージが語られたことだろう。弟子たちは、エルサレムでの出来事を語り合うだけでは十字架の意味が分からなかった。教会でも、牧師がイエスの復活の出来事を伝えるだけでは十分ではない。牧師は復活の出来事の意味を伝えなければならない。そして、会衆は、どのように自分たちに関係しているのを知って、聖霊の働きによって、心を燃やされるのである。

注1 「天の御国の鍵」は村上密ブログに詳しく掲載されてあるので参照のこと。
注2 イエスの時代に「旧約聖書」と言う呼び方はない。これは現代の呼び方である。ルカの福音書では「モーセおよびすべての預言者」「聖書」「モーセの律法と預言者と詩篇」とある。この表現から、イエスの用いられた聖書は、ヘブライ語聖書であることが分かる。

by maranatha | 2014-05-06 14:33
宗教問題