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村上 密 Blog

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ダニエルとエレミヤ

 ネブカデネザル王は「イスラエル人の中から、王族か貴族の数人を選んで連れてこさせた。」(ダニエル1:3)その時、ダニエルは少年であった。イスラエルでは13歳で成人する。前605年第1回バビロン捕囚の年を仮にダニエル11歳とすると、エルサレム破壊の年前586年は、ダニエルは20歳となる。ダニエルはネブカデネザルの宮廷で早々と重要な役割を果たしている。エレミヤが、バビロンへの捕囚を肯定的にとらえるのは、バビロンにダニエルが備えられていたからではないか。イスラエルでエレミヤが用いられ、バビロンでダニエルが用いられる。共に生きて、神の計画の中でそれぞれが役割を果たした時代がある。

前605年 第1回バビロン捕囚 ダニエルたち
前597年 第2回バビロン捕囚 エホヤキム エゼキエル
前586年 第3回バビロン捕囚
前582年 第4回バビロン捕囚

注 年代は『新聖書辞典』(いのちのことば社)を参考にした。

by maranatha | 2014-06-27 21:53

試練の後に

 「私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が七十年であることを、文書によって悟った。」(ダニエル9:2)この文書は、エレミヤ書だろうか。いや、そうではない。エレミヤはエルサレムからバビロンに手紙(エレミヤ29:2~23)を送った。この手紙が、ダニエルが読んだ文書である。その文書には、バビロン捕囚が七十年とが書いてある。ダニエルは祈った。

 ヨセフは、少年のころ、兄たちに裏切られて、エジプトに奴隷として売られた。やがてエジプトの総理となったヨセフは、このことをヤコブ一族を飢饉から救うための神の計画であったと悟った。ダニエルは、少年の時、バビロンに捕囚された。やがて政治を総理する立場を与えられて、捕囚として多くのイスラエル向かえることになる。バビロンでダニエルが王の信頼を得ていたことがどんなに役立ったことだろうか。そして、エレミヤの手紙で、今度は、エルサレムへの帰還を推進する器となる。

 神が与えられる試練は、その人をダメにするものではない。神の器にするためのものである。困難の中を歩いている人は、困難の中を神と共に歩くように。どんなt時にも、どんなところでも、共におられる神の前で誠実に生きていくように。神の時が来たら、神は、その人に大切な役割を与えられる。

by maranatha | 2014-06-27 18:25

伏線

 「主がユダの王エホヤキムと神の器具の一部とを彼の手に渡されたので、彼はそれをシヌアルの地にある彼の神の宮に持ち帰り、その器具を彼の神の宝物蔵に納めた。」(ダニエル1:2)とある。「彼」とはネブカデネザルである。ダニエルについて書く前に、なぜ「神の器具」が出てくるのか。映画の伏線のように、この箇所が後で生きてくる。ベルテシャツァル王は「父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持ってくるように命じた。」(5:2)宴会でその器で飲むためとある。神は、戦利品とされた神の器が使われた時、バビロンの終わりをもたらす器として用いられる。器は器にふさわしく用いるべきであって、冒瀆的な扱いをすべきではない。器をの使い方を知らない王は、王の器でない。

by maranatha | 2014-06-27 18:22

集団的自衛権

 公明党が自民党と集団的自衛権を使えるように大筋で合意した。公明党が歴史的役割を果たすかに思えたが、結果は自民党に隷属したかたちになった。憲法解釈による「安倍首相のクーデター」とも言われている、首相の独走は、だれも止めることができなくなっている。これは、アメリカの後押しと財界の支持がなければできないことである。首相のアプローチが、軍部が統帥権を利用したことに似ているのではないかと思って、以下の記事を見つけた。

http://blog.livedoor.jp/sho923utg/archives/51810577.html

by maranatha | 2014-06-25 22:27

背教

 背教とは、イエス・キリストの教え、聖書の教えから逸れていくことである。行きつくところは異端か棄教である。背教の原因はどんなものがあるのだろうか。

1、苦しいめに遭いつまづく(マタイ24:9、10)
2、にせ預言者が起こって惑わす(マタイ24:11)
3、試練の時に身を引く(ルカ8:13)
4、空想話に逸れて行く(2テモ4:4)
5、真理が留まっていない(1ヨハネ2:19.20)
6、堕落する(へブル6:6)
7、罪を犯し続ける(へブル10:25~31)
8、神から離れる(へブル3:12)
9、キリストから離れる(ガラテヤ5:4)
10、良心を捨てる(1テモ19、20)
11、世を愛する(2テモ4:10)
12、無理解(ヨハネ6:66)
13、世の汚れに巻き込まれる(2ペテロ2:20)

宗教トラブル相談センターへの相談は、にせ預言者、空想話である。すなわち、惑わしが多い。

*聖句の箇所は『ウェスレアン神学辞典』(福音文書刊行会)に依拠した。

by maranatha | 2014-06-25 18:10

白い家フェローシップチャーチ

 白い家は福音的な教会だろうか。ホームページを開くと、7月1日から3日まで、沖縄コンベンションセンター展示棟で、「ホームカミング in OKINAWA」を開催する。講師はだれか分からない。時間帯はあっても何ががない。いったい何をするのか。主催も書いてない。Arise5を開いて、だれが、何をするかが分かった。ロナルド・サーカが招かれる。なぜ講師をはっきり書かないのか。伊藤嘉子牧師は、使徒と自称している人を招くことを、問題視されることをの警戒しているのかもしれない。預言運動を展開している人物を、福音派の教会は招かない。自称している教会ならば招くこともある。いっそ、ホームページでは「カリスマ的な教会」と案内すべきではないか。3日間は預言集会だろう。伊藤牧師のプロフィールを見たが、どこの神学校を卒業したかが分からない。福音派か、カリスマか、卒業した神学校を見れば大体は分かる。今までに教会に招いた牧師たちから判断すると、白い家に、福音的、聖書的、と言う言葉はふさわしくない。

by maranatha | 2014-06-25 06:38 | 白い家フェローシップチャーチ

道がない!

 フィリピンの山岳地帯でパーティーが宣教地への道を見失った。その中に私はいた。道案内者と別れた後の出来事だった。道がない。それぞれが遠くに行かないように、道を探し始めた。しかし、道を見つけることができない。パーティーは近くにあった水の流れに沿って下り始めた。道なき道を下り、渓谷を下り、崖を下り、開けて来たので、河原から見晴らしのいいところに登った。パーティー一向に土地勘のある人がいて、目的地に近づいていることを知らせてくれた。草のおおわれた細い道を見つけ歩き始めた。途中で壮年の人に会った。半裸で靴も履いていない。足の指先が開いて、滑りやすい土や岩をつかんで歩く。臀部から伸びた腿は牛のように筋肉で引き締まっている。たくましく生きている人に出会った。小さな手がかりで目的地へ着いた。あの時の経験が今も生きている。解決のための手がかりが少なくても、解決を求め続ければ、道は開ける。

by maranatha | 2014-06-21 07:33

一匹の羊

 一匹の羊を捜すために、99匹の羊を野原に残す。一匹の羊のために99匹が犠牲になるのか。そうではない。羊が100匹もいれば、羊飼いは数人いる。羊飼いの日常を知っていたら、99匹を置いて行くとは思わない。羊飼いたちは、生れたばかりの神の子羊を捜した。その時、残された羊を守る羊飼いがいた。捜す人は、支えられて、その仕事ができる。そして、捜しあてたら、共に喜び合う。

 カルト化の被害者は、迷子になった羊のようだ。羊と違うのは、羊がたくさんいる羊飼いたちの中から私を捜しあてる。文明の利器、パソコンとスマホを使って。すぐ連絡してくる人もいれば、連絡するのに勇気が必要で数か月数年かかる人もいる。カルト化教会で植え付けられたイメージを克服するのに時間がかかる。恐ろしい人と思い込まされている。恐怖のコントロールを克服する方法は、連絡することである。語り合い、間違いに目覚めるとき、共に喜び合うことができる。

by maranatha | 2014-06-21 07:33

中国 一人っ子政策の付け

 6月18日の沖縄タイムスに「中国軍 精神障害も可」「人材確保に苦心か」の見出しがあった。内容は「これまで認めてきなかった精神障害や入れ墨のある志願者についても入隊を容認する新基準を導入した」とある。「高学歴の若者を中心に厳しい訓練のある軍隊への応募を敬遠する傾向」が理由である。真相は、中国の一人っ子政策の付けである。精神障害者や入れ墨のある人がその付けを払うことになる。一人っ子政策は1979年に始まった。軍隊の中には、相当数の一人っ子が軍人が勤めていることになる。どの両親が、死亡率の高い軍務や厳しい軍務に我が子が就くことを願うだろうか。両親にとっては、大事に育てられた子は、軍人になっても大切な跡取りであり、無事に退役して、家が存続することが願いである。甘やかされて育った子が、軍隊に馴染むのは困難である。新基準の導入は、軍規の乱れを伴うだろう。
by maranatha | 2014-06-18 17:42

近畿大学 英文名称変更

 6月16日の日本経済新聞で近畿大学の英文名称変更を知った。それで、大学のホームページで再確認した。近畿大学は、2016年の外国語・国際系学部(名称未定)を目指し、グローバル化への取り組みとして、大学英文名称を現在の「KINKI UNIVERSITY」から「KINDAI UNIVERSITY」に変更した。

 なぜ、このような記事を取り上げたのか。それは、私の属するアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の関西教区が以前「近畿教区」から「関西教区」に変更した経緯と類似するからだ。随分昔のことになるが、「近畿聖会」の講師として招聘した牧師から、「キンキ」は英語ではよくない表現で変更した方が良いとのアドバイス受けた。教区は国際交流を推進していた時期であったので、なじみのあった名称を「関西教区」にした。

 その後、「近畿」が付く会社や大学の名称が気になっていた。英語圏のビジネスマンや観光客は「キンキ」と聞くたびに笑っているのではないかと思った。この度、近畿大学が長い歴史を持つ名称を変更したことが、グローバルな事業を展開する会社の名称変更に寄与するのではと思っている。


by maranatha | 2014-06-18 06:00
宗教問題