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村上 密 Blog

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教会の問題を未然に防ぐ方法

 教会の責任役員会は最低3人で構成される。教会員30人位の教会が3人の目安である。教会員の増加に伴って、責任役員を5人、7人とする。小さな教会では、役員でない牧師夫人が会計を担当する場合がある。これは開拓教会であればよいが、役員会を構成したら、会計役員と書記役員を置くべきである。また、責任役員会は、3親等以内の親族が三分の一を超えるべきではない。また、特殊な関係を持つ人を役員にすべきではない。

 責任役員会が機能しているかどうかは、役員会記録があるか役員構成が公平であるかどうかである。問題が起きやすい教会は、記録がメモになっていたり、記録しなかったり、親族が三分の一を超えていたりする。牧師にとって都合の良い運営になっている。収支報告がない教会は大いに問題である。教会の運営は透明性が重要である。しかし、教会員の献金額を週報等で公表するのは行き過ぎである。教会員から選ばれた役員は、牧師の教会運営を助ける働きであるが、媚びるような役員は相応しくない。また、宗教法人の運営を担当する立場上、個人的にも宗教法人法を学ぶことが要求される。魚は頭から腐ると言われる。問題教会は、信徒から腐るのではない。牧師から、そして役員から腐る。牧師が善意の運営を心掛けていても、宗教法人法を無視した教会運営をすれば、やがて問題が起きる。宗教法人法は、未然に問題を防ぐ役割を持っている。運転者が一方通行の道路を事故もなく通行できても、いつか事故を起こす。牧師は、宗教法人法や教会規則を、有って無いような運営をしてはならない。

by maranatha | 2014-12-31 15:30

「村上密ブログ」

 「村上密ブログ」は、宗教トラブル相談センターの働きの一環である。宗教の中で起きている問題をいち早く多くの人に知らせることや問題の解決方法を提案したりしている。どの宗教にも問題は起きる。大半の信者はその問題をどのように解決するかを知らない。宗教団体が相手だと、個人の力ではなかなか太刀打ちできない。それで、異端やカルト問題で養った人脈や情報を基に、宗教問題の被害者支援を続けている。2005年の聖神中央教会事件以来、キリスト教会のカルト化が明るみになった。その後、キリスト教会の牧師が起こした、精神的虐待、身体的虐待、性的虐待、金銭的搾取、教会財産の私物化、独裁的教会運営等の被害相談が絶えず入ってくるようになった。異端問題の相談にカルト問題が加わり、更にキリスト教会のカルト化問題が加わった。

 現在の相談の大半は、教会のカルト化問題である。キリスト教会は良いところという先入観はもはや捨てるべきである。キリスト教の堕落は最近始まったことではない。歴史の中で繰り返されてきた。改革や改善が絶えずあったことを歴史から学ばなければならない。昨今の教会に不足しているのは批評的精神である。キリスト教メディアでは建徳的な精神を優先するあまり、キリスト教の中に浸透しつつある問題を指摘したり、公表することが遅い。そのため、カルト化の被害者は増加し、教会員の教会離れが進んでいる。問題が発覚しなければ、問題牧師の超教派活動が記事になることもある。それが問題牧師の信用になるとは皮肉である。「村上密ブログ」はキリスト教メディアの不足を補うためにも続けている。批判的過ぎるとの批判もあるが、そのように批判する人はキリスト教の何を見ているのか。光か。光も影もあるのが現実である。カルト化の闇に光を投じることによって、多くに人々が解放されてきた。それなのに、教会に足を向けたくないほど、被害にあったクリスチャンは痛んでいる。なぜか。牧師が教会を庇い過ぎるからである。牧師がカルト化の現状と被害者の抱えている問題を理解し、その気持ちを汲み取ることができなければ、来会者は寂しく去っていく。牧師が愛を説きながら、被害者への共感性がなければ、被害者の目には同類の牧師に映ってしまう。要は「お祈りしています」と言うだけではなく、親身になって耳を傾け、心を理解することがカルト化していない教会の牧師には要求されている。

by maranatha | 2014-12-30 11:54

カルト化の原因 

 教会がカルト化するのは、牧師だけの責任ではない。教会員が牧師の行為の違法性を知りつつ、それを正さないことにある。カルト化教会では、法はこの世の基準と切り捨てられ、カルト化教会にとって有益と見做されることが全てに優先される。カルト化教会の大義は自己肥大である。健全な教会は遵法精神を失わないで活動を維持する。しかし、健全であれば、権力によって信教の自由が脅かされる時、権力には屈しない。カルト化教会では、牧師への無条件の服従が要求される。牧師が黒を白と言ったら白、こんなことを聞いたら離れるのが一番である。

by maranatha | 2014-12-27 12:18

目の錯覚

 毎日新聞(下記掲載)にフランシスコ・ローマ法王の写真が掲載されている。写真を見ると自然と中央にある紋章に目が行く。天国の門を開くという鍵がクロスしている。その鍵に蛇がからんで向かい合っているように見える。しかし、拡大すると、王冠から出ているリボンである。人騒がせな紋章である。「バチカンに15の病」があるように、プロテスタントにも病がある。いくつだろうか。法王は改革を進めているが、プロテスタントは誰が進めているのか。

ローマ法王:「バチカンに15の病」…クリスマス前に批判
毎日新聞 2014年12月24日 10時46分(最終更新 12月24日 13時16分)

法王庁高官との会合で演説するフランシスコ・ローマ法王=バチカンで2014年12月22日、AP
法王庁高官との会合で演説するフランシスコ・ローマ法王バチカンで2014年12月22日、AP
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 法王庁はカトリック教会の「中央政府」にあたる組織。南米アルゼンチン出身の法王は昨年3月の就任以来、法王庁の改革に取り組んでおり、クリスマスにあたって、硬直化した組織の弊害を診断し、高官に心構えを説いた形だ。法王は歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られる。法王は演説の中で「法王庁は人体と一緒で病気や機能不全になる。自己批判をせず、時代に遅れないようにせず、改善しようとしないのであれば病人の身体(組織)だ」と指摘した。

 その上で、思い上がった「不死身だとの勘違い」、仕事をするにあたっての「働きすぎ」や「計画の立てすぎ」、他人の陰口をたたく「うわさ話のテロ」、権力を追い求め、メディアを使って他人をけなす「見せびらかし」−−などの「病」を列挙した。

 法王庁はイタリア人が主流派を占め、近年、スキャンダルや内部抗争が表面化した。約1300年ぶりに欧州域外から選出されたフランシスコ法王は構造改革を進めているが、内部の抵抗があり、最近のインタビューで「改革は2015年には終わらない」と語った。

by maranatha | 2014-12-24 16:45

静かなクリスマス

 牧師にとって、アドベント(待降節)とクリスマスは忙しい時期である。ないものねだりで、静かなクリスマスを過したい、と思ってしまう。でもよく考えると、クリスマスの時期ほど、福音を語りやすい時期はない。牧師の務めが宣教である以上、福音のゆえに忙しいことは悪いことではない。アッセンブリー京都教会では、クリスマス礼拝が2回持たれた。礼拝に引き続き祝会が持たれた。クリスマスを迎えるためにどれだけ多くの人々が準備に関わってくれたことだろう。この時期に一人でも多くの人々に福音を伝えるためにである。家族や友人たちがたくさん集まってくれた。忙しいけれど、良い時を過ごすことができた。初めのクリスマスは静かなクリスマスではなかった。天使からキリストの誕生を聞いた羊飼いは、その夜は忙しかった。しかし、みどりごを捜しあて、喜んだ。忙しかったけれど、良かった、喜んでもらえた、クリスマスがそのように終ればそれは良いことではないか。

by maranatha | 2014-12-23 11:10

悲嘆反応

 カルト化教会を脱会した人は情報が少なく、自分の身に起きていることに気付かないことがある。その中に、喪失と悲嘆反応がある。適切な記事があるので参考にしていただきたい。カウンセリングではよくこのことを取り扱っている。悲嘆反応という言葉は使っていないが、症状は多くの脱会者に類似している。それで克服のために、いろいろなアドバイスをしている。

悲嘆反応とは
http://jdgs.jp/preview/about_grief/grief_reaction.html
by maranatha | 2014-12-19 07:11

クリスマス

 東方の博士たちは、星の出現でキリストの誕生を知り、エルサレムへ旅立った。これは自然啓示に基づく行動である。祭司長たちや学者たちは、ベツレヘムでキリストが生まれることを知っていながら行動しなかった。これは聖書啓示への背反である。東方の博士たちは、星の研究者である。事実の確認は彼らの大切な仕事であるが、彼らの旅の目的は礼拝であった。祭司長たちや学者たちは神に仕え聖書を民衆に教える立場である。なぜ、神に最も近い仕事をする人たちが、最も神から遠く、最もベツレヘムから遠い人が、キリストに近いのか。それは、神と自分の間に誰を又は何を置くかで違ってくる。祭司長たちや学者たちはヘロデ王を神と自分たちの間に置いた。彼らは、神を畏れるのではなく、ヘロデ王を恐れていた。東方の博士たちは、ベツレヘムとペルシャ(?)の長距離をものともしなかった。ヘロデ王はどうだろうか。東方の博士たちから星による情報を得た。祭司長たちや学者たちから聖書による情報を得た。2つの情報を結び合わせれば、行動を起こしてもよかった。しかし、「ヘロデ王は恐れ惑った。」(マタイ2:3)「エルサレム中の人も王と同様であった。」(2:3)恐れ惑う人は行動できない。どうするか判断がつかないからである。ヘロデ王は、「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」(2:8)と言って、やがて「ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を残らず殺させた。」(2:16)ヘロデ王は恐れと惑いを権力で取り除いた。しかし、ヘロデ王は、まもなく、神によってこの世から取り除かれた。体制の最も底辺にいる羊飼いが天使のみ告げに応じて、みどり子を捜しあてたことが、どんなにすばらしいことか。住民登録から除外され、ユダヤ教から破門され、裁判の証言さえできない羊飼いたちが、キリストの誕生の最初の証人として選ばれたのである。神は全世界を見ておられる。そして、博士たちと羊飼いを証人として立てられた。そして、時が流れ、最も遠くの日本にいる私たちにもクリスマスの良き知らせが届いた。そして、その良い知らせを聞いて、私たちは礼拝する民となった。私たちがより頼むものは聖書である。この聖書の光に導かれて、私たちの人生の旅は始まった。啓示の光が星の光に勝ると確信する人は人生を希望をもって歩む。たとえ暗き谷を歩むときも、インマヌエルの主と共に歩む。

by maranatha | 2014-12-12 22:25

アヒトフェル 

 「ギロ人アヒトフェルの子エリアム」(2サムエル23:34)「エリアムの娘バテ・シェバ」(2サムエル11:3)この2箇所を結び付けると、バテ。シェバはアヒトフェルの孫娘になる。孫娘の夫ウリヤはダビデによって殺された。それは卑劣な殺されかたであった。アヒトフェルはこれを根に持っていたのだろうか。アヒトフェルは、アブシャロムに「父上が王宮の留守番に残したそばめたちのところにおはいりください。」(2サムエル16:21)と進言する。これは、ダビデの王位を奪ったというデモンストレーションである。なぜ、ダビデ王とアヒトフェルの孫娘バテ・シェバの間に生まれたひ孫ソロモンが王になることを勧めず、アブシャロムに加担したのか。アブシャロムの後にソロモンをという深謀遠慮があったのか。ひょっとすると、ソロモンの知恵はアヒトフェル譲りかもしれない。いずれにしても、知恵深い人の計画を一跨ぎして神の計画が成る。

by maranatha | 2014-12-11 07:44

アブシャロム

 アブシャロムは、父であるダビデ王に反逆した。一時的に、ダビデはエルサレムから逃れた。クーデターは成功するかに見えたが、フィシャイの提案によって阻まれた。その後、アブシャロムはヨアブによって殺された。王位はダビデの子ソロモンが継承した。その王位は、ソロモンの子レハブアムに継承された。レハブアムの子「アビヤムはユダの王となり、エルサレムで三年間、王であった。彼の母はマアカといい、アブシャロムの娘であった。」(1列王15:2)「ユダの王アサが王となった。彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。」(15:9、10)アブシャロムはクーデターに失敗したが、彼の血を引いた孫は王となった。もちろん、ソロモンの血を引いた子や孫も王となった。これが歴史の不思議である。

by maranatha | 2014-12-11 07:43

「サタン」

 「サタン」は旧約聖書中のヨブ記(1、2章)ゼカリヤ書(3章)1歴代誌(21章)に出てくる。ヘブライ語聖書の三部構成の中で、ゼカリア書は「預言者」に、ヨブ記と1歴代誌は「諸書」に属する。年代的には、ゼカリア書はバビロン捕囚期後であり、1歴代誌もバビロン捕囚期後である。ヨブ記は時代背景としては族長時代であるが、バビロン捕囚期後の「諸書」の中に属している。バビロン捕囚期前の預言者エゼキエルは14章14節でヨブに言及しているので、これは「諸書」の編纂される前の『ヨブ記』と見做すことができる。それで分かることは、ヨブ記で取り上げられる「サタン」が最も古いと言うことである。「サタン」は、堕落する前には別の名前があったと思われる。ミカエルやガブリエルのように「エル」(神)が付いていたであろう。

 アヒトフェルはダビデの議官である。「当時アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」(2サムエル16:23と言われている。しかし、アヒトフェルとは「(私の)兄弟は愚かである」との意味である。親が生まれた子に付けた名前ではない。ダビデへの謀反の計画が破たんし、自死した以降に付けられた名と思われる。

by maranatha | 2014-12-03 18:44 | 霊の戦い
宗教問題