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村上 密 Blog

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今年を振り返る

 1年が終ろうとしている。今までの中で最も多忙な1年であった。11月と12月はブログの更新がなかなかできなかった。語るから聞くに、聞くから書くに、書くから書けないに、変化してきた。けれども、できるだけブログを通して、情報提供をしていきたい。
 
 マスコミに取り上げるようなカルトの大きな問題は、神社仏閣への油まき事件であった。容疑者を割り出し、予防につなげることができた。宗教トラブル相談センターには、教会で傷つき、悩み苦しみ、相談できるところを捜し求めて、この年も多数の方々が連絡してこられた。宗教問題に適切に対応してくれる窓口が、まだまだ日本では少ない状態である。

 最後に、宗教トラブル相談センターへの電話は、私の出張が多いので、なかなかつながらない状態である。できるだけメールでの相談に切替えていただきたい。メールであれば、私は出張先でも対応できる。

by maranatha | 2015-12-30 21:36

クリスマスと再臨

 マタイはイエスがキリストであることを証言している。博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」(2:2)に対して、ヘロデ王が「民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。」(2:4)と書いている。ユダヤ人の王とキリストは同意語である。マタイは2章においてキリストに関係する預言の成就を取り上げている。「預言者によって」(2:5)「主が預言者を通して」(2:15)「預言者エレミヤを通して」(2:17)「預言者たちを通して」(2:23)と4回に及ぶ。マタイが如何に預言の成就としてのキリストを強調しているかがこの取り上げ方で分かる。

 キリストの誕生に対して「ヘロデ王は恐れ惑った。」(2:3)シメオンは「主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。」(ルカ2:26)彼は宮で幼子を見ると「主よ、今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばとおりに、安らかに去らせてくださいます。」(2:29)と語っている。ヘロデ王(イドマヤ人)は、ユダヤ人の王の誕生を恐れた。王を恐れている「エルサレム中の人も同様であった。」(2:3)人々はキリストを待望しているはずなのに、王を恐れて、ベツレヘムへ行こうともしなかった。私たちも真理を聞きながら、現実に目を向け、真理に取り組まない心がある。いつの時代も同じである。

 マタイは、キリストの誕生を恐れたヘロデ王が、「ベツレヘムと近辺の二歳以下の男の子たちをひとり残らず殺させた。」(2:16)ヘロデが如何にキリストを恐れたかが、この虐殺で分かる。真理に背く人は光りを恐れる。キリストの誕生は、おめでたいだけではなく、多くの犠牲が伴っていたことに心を留めたい。真理が、或いは真実が明らかになるために、誰かが犠牲になることがある。その犠牲は無駄ではない。

 キリストの誕生に多くの犠牲が払われたように、キリストの再臨前にも犠牲者が多く出る。、「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。」(マタイ24:9)能天気にも大リバイバルが起きると妄信している人たちがいる。それはにせキリスト、にせ預言者によって惑わされる犠牲者である。裁きの歴史は、真理が語られても、背を向ける人が多いために起きている。これからは、著名な人が語っているからではなく、聖書はどのように語っているかに謙虚に耳を傾けなければならない。

by maranatha | 2015-12-25 23:59

にせ使徒を見破る

 にせ使徒が初代教会の時より多い時代を迎えた。彼らを見破る方法は、正しい使徒がどのように教え、行動したかを学ぶことである。使徒の6章1節から6節を引用して、解説を試みて見た。

そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。(使徒6:1)

誰が誰に毎日の配給で苦情を申し立てているのか。ヘブル語を使うユダヤ人たちではなく、ギリシャ語を使う人たち、それもやもめたちが使徒たちに苦情を申し立てている。初代教会は、最も立場の弱い人が発言できる教会であった。今日、使徒を自称する人の教会で、立場の弱い人が発言できる教会があるだろうか。もし、発言できないなら、その教会は正しい使徒ではなく、にせ使徒の教会と思って間違いない。

そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。(同6:2)

苦情を聞いた使徒たちは、自分たちだけで話し合って解決をしようとはしなかった。弟子たち全員を集めた。

そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。(同6:3)

使徒たちは、自分たちの配給の仕事を、苦情を申し立てた女性たちの属するギリシャ語を使う人々の中から、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち7人を選びなさい」と語りかけて、その人たちに自分たちの仕事を譲渡した。有利な立場の人々からではなく、不利な人々を思いやる判断がここに働いている。誰でもよいわけではない。使徒から基準が提案されている。使徒と自称する人の教会でこのような取り組みがあるだろうか。権威を振りかざしてはいないか。

そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(同6:4)

使徒たちは、自分たちの働きを譲渡することを決め、「祈りとみことばの奉仕」に専念することを宣言している。今日の使徒と自称する人が、教会の会計を管理し、収支報告もしないでいると聞くとき、何と初代教会の使徒たちと違うことかと思わされる。、

この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び(同6:5)

使徒の提案は、全員の、繰り返すが全員の承認するところとなった
。そして、ギリシャ語を使う人々が自分たちの中から7人を選んだ。彼らが選んだ7人は、使徒たちが配給の働きをする人として認められた。使徒たちは弱い立場の人々を思いやす判断をしている。これが支配ではなく、仕える姿である。

この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。(同6:6)

立たせであって、跪かせではない。上下関係ではなく、配給をするにふさわしい人にその働きを祈って譲った。今日、何と形式ばったいろいろな任命式が行なわれていることだろう。

マタイの福音書に「天の御国のかぎ」が出てきて、それ以降出てこないように思い込んだいる人がいるが、18章に「つなぐ」「解く」が出てきて、「天の御国のかぎ」の使い方が書かれてある。それは教会の中で罪の問題をどのように正しく裁くかである。使徒6章では、大切な働きを、どのような人に、どのように選んで譲渡するかが書かれてある。天に御国のかぎは、この他にも、ユダの後の使徒を選ぶ時、異邦人宣教にバルナバとパウロを遣わす時、エルサレム会議の時に使われた。

by maranatha | 2015-12-13 14:40

ヒゼキヤ王の印章発見

トピック

ヒゼキヤ王の印章が発見されたとロイターが報じている。

http://jp.reuters.com/article/king-idJPKBN0TM0W420151203

by maranatha | 2015-12-10 16:10

祈り

 マリアの賛歌にはアンナの言葉が引用されていると書いた。不妊の女であったアンナは、祈りの応えとしてサムエルを授かり、応えてくださった主にサムエルをささげた。祈りは頼りないように思われるものであるが、全身全霊の祈りには、その人の力のなさとは関係なく、祈りを聞きたもう恵み深い神の働きによって、願い以上のことがもたらされる。私たちは、アンナの祈りが、偉大な預言者を生んだことに驚きを禁じ得ない。彼女は普通の人である。ただ違ったのは、不妊であることを嘆き続ける人ではなく、それを長く忍耐し、恵み深い神に訴える人となった。私たちの生涯には、罪の深さと無力さを教えられることが横たわっている。普通はそれを意識しないように生活している。しかし、それは終わることがない。そこには神のご計画が働いている。神に立ち返り、神と共に歩む人になるようにである。

 ヨシュアが亡くなった後、カナンの地に住みついたイスラエルは偶像礼拝に陥り、信仰の後退を見るに至った。イスラエルは度々外敵から侵略された。神はその度に士師を起こされたが、その士師の死亡と危機は繰り返されていった。このような中で、最後の士師とも言えるサムエルが登場する。彼は、部族社会から統一王国への移行を担った預言者である。そのことを示唆する用語が「全イスラエル」である。ヨシュア記によく出るこの言葉が、士師記では1回(20:34)である。しかし、サムエル記で、再びこの言葉は多く出てくるようになる。特に重要なのは「サムエルのことばは全イスラエルに行き渡った」1サムエル4:1)である。統一王国ができる前に、神のことばがサムエルを通して、全イスラエルに行き渡った。


by maranatha | 2015-12-10 08:24

マリアの賛歌

 マリアをただ信心深い、神に選ばれた乙女として受け留めることから、どのように信心深い人であったかと理解するためには、マリアの賛歌を読んでみる必要がある。ルカの福音書1章の46節は1サムエル2章1節、48節aは1サムエル1章11節、48節bは創世記30章13節、49節は申命記10章29節、50節は詩編103編17節、51節は詩編89編10節、52節aは1サムエル2章10節、52節bはヨブ5章11節、53節は詩編107編9節、54節aは詩編98編3節、54節bはイザヤ41章8節、55節はミカ7章22節の引用である。ヘブライ語聖書は三部の構成で、律法、預言者、詩編となっている。引用は、律法から2カ所、預言者から5カ所、詩編から5カ所で全部で12カ所である。マリアは聖書全体を読んでいたことになる。マリアはサムエルの母ハンナと詩編の引用を特にしている。マリアは、そらで覚えていたからこそ、受胎告知を受けたとき、自由に旧約の言葉を紡いで、流れるように自分の言葉にしている。このことから、私たちは、マリアがただ信心深い、神に選ばれた乙女から、聖書をよく知っていた乙女であるとの見方に変わっていくのである。情緒的な見方から私たちが解放される時、知性の重要性に気付かされ、聖書に親しむ人になりたいと思うようになる。私たちの人生の別れ道は、聖書に親しみたいから親しむ人になることである。メリー・クリスマス。
by maranatha | 2015-12-09 10:06

不服従

 カルトは、指導者への服従を強調している。服従について、最近興味深い本、『服従』(ミシェル・ウエルベック/大塚桃 河出書房新社)が発売されている。それを読みながら、聖書が教えている不服従を思い出した。

イエスは、議会に引き渡され、総督や王の前にも連れて行かれた(ヨハネ18章)。

イエスは弟子たちを派遣する時に次のように語られた。「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すうなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」(マタイ10:16~20)

ペテロとヨハネは議会で取り調べを受けた(使徒の働き4章)。パウロも又議会で、更に総督たちや王の前に連れて行かれた(使徒の働き22章~26章)。彼らは、いずれも父の御霊の助けによって彼らの前でイエスを証ししている。

イエスとペテロ、そしてパウロは、その時の宗教的最高権威や世俗の権威に対して反論している。当時、キリスト教(そのような名前はまだない)はユダヤ教の一派と見做されていた。そのような中での反論が迫害を招くであろうことは当然予想された。しかし、彼らは真実を語らずにはおられなかった。

権威主義の牧師は、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)を自分の権威づけのために利用するが、聖書は無条件で従うように教えているわけではない。代表的な聖書の箇所から、私たちが模範としなければならない不服従を取り上げて見た。
by maranatha | 2015-12-05 23:26

宗教トラブル相談センターからの報告

 宗教トラブル相談センターでは、面談、電話相談、メール相談に応じています。しかし、相談者から、電話がなかなかつながらないとの指摘があります。宗教トラブル相談センターは、電話相談に応じる人が常駐していません。無料の相談ですから、村上の在宅時に限られます。私は月の半数以上は他府県への出張のために不在です。携帯電話は持っていませんが、手が空いたとき、小型パソコンでメール相談に応じています。以上をご理解の上、ご相談ください。

電話相談は075-321-4320(22時から9時までは緊急の相談のみです)
メール相談はkyoto.mur*k*mi@gm*il.com(*は全てaです)


by maranatha | 2015-12-05 11:34
宗教問題