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村上 密 Blog

<   2016年 03月 ( 11 )   > この月の画像一覧

小話

ある人が、牧師に相談をした。
牧師は、話を聞いて、最後に「お祈りしています」と言った。
今度は、牧師が問題を抱え、友人の牧師に相談した。
友人の牧師は、話を聞いて、「お祈りしています」と言った。
牧師は心の中で言った。「相談に来るんじゃなかった」。

思うように献金が集まらなかったが、新しい教会堂を建てた。
神の代理人を自称する牧師は、
信徒に「神さまのためにささげましょう」と献金を呼び掛けた。
それでも、思うようには集まらなかった。
それで銀行ローンを組んだ。
署名には代理人と書こうとしたができなかった。
仕方なく「〇〇教会、代表役員〇〇」と書いた。
牧師は、心の中でつぶやいた。
神の代理人が通じるのは教会だけか。

ある教会は、歴史のある、立派な教会と自認していた。
その教会に問題が生じた。
被害者は代理人を立てた。
そこで、代理人は、役員会議事録を確認するため、
教会に閲覧請求をした。
返事がない。
代理人として、話し合いをしたい。
認めません。
どこが立派な教会だろうか。
こちらは、法に基づき、ものごとを進めようとしている。
宗教法人法に基づくなら、閲覧請求はできる。
民法に基づくなら、代理人は認められている。


by maranatha | 2016-03-31 21:56

祭司長たち

 「祭司長たち」は、新約では福音書と使徒の働きに限られている。「祭司長たち」は、関連図書を調べて見てもはっきりしない。ところが、用語の一貫性を重視するために、ルカ文書から見てみると、祭司長たちがどのような集団であるかを知ることができる。「翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、その他大祭司の一族もみな出席した。」(使徒4:5、6)次に「釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。」(4:23)文脈から後節は前節の要約である。それで祭司長たちとは、「大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、その他大祭司の一族」を指すことになる。カヤパが大祭司であるのに、元大祭司アンナスが大祭司アンナスと書いてあるのは、ユダヤ社会では大祭司が終身と考えられているからである。祭司長たちの中に、元大祭司、現大祭司と2名が加えられている。この他にも大祭司経験者の親族で最高議会の議員は祭司長たちに加えることができる。
by maranatha | 2016-03-26 20:43

心を動かされて

 カルト化した教会の教会員が、近隣の教会の牧師に、助けを求め、被害を訴えた。返ってきた言葉は、「赦しなさい」「お祈りしています」「私は中立の立場です」であった。相談者は悲しく教会を去った。カルト化した教会は、キリストの教えに背を向けている。牧師は、相談者に背を向けている。危機の中にある人に手を伸ばさない。牧師は倫理的危機を迎えている。問題を正しく裁く力がないために、「赦しなさい」。思いやりのある牧師でいたいために、「お祈りしています」。問題に巻き込まれたくないから、「私は中立の立場です」。このような言葉は、相談者にとって何の役にも立たない。相談者にとって、それは体の良いおことわりである。相談者は助けを求めていくつもの教会を訪ねるが、同じ言葉を聞き、やがて訪ねることを諦める。教会に助けがないからである。もし牧師が心を動かされて取り組むなら、天から助けが与えられる。これを経験すると、倫理的危機を克服できる。
by maranatha | 2016-03-26 19:24

従う

 弟子訓練では、神への従順が強調される。ところが、カルト化した教会では、神にではなく、神の「代理人」と思い込まされている牧師に従うことが求められている。かつて、ペテロは最高議会の決定に対して反論した。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」(使徒4:19)この時、ペテロは時の政治的・宗教的権威を持つ議会に対して従わなかったことになる。ここでは神への従順と最高議会への従順が矛盾し合っている。カルト化した教会では、美徳と思われた従順が、牧師へのごますりにとって代わっている。牧師に気に入られるために、忠誠心の旺盛な集団、取り巻き連中は何でもする。ここにあるのは信仰ではなく、認められたいと言う欲求である。カルト化した教会は階級的である。その中で階段を上る手段は従順である。目的は世的である教会内での出世である。これでは世の中で達成できなかったことを教会の中で取り組むにすぎない。このようなごますりによって教会は信仰的に堕落して行くことになる。

by maranatha | 2016-03-24 20:02

克服

 カルトの信者が、カルトを抜けても、全部から抜けることはできない。カルトの組織を抜けることと、カルトの思想を克服することは違うことである。考え方、言葉に含める意味などを持ち続けて、現実社会とぶつかりながら、もがいて苦しむ。それを理解できる人は少ない。本人たちも苦しみの原因に気付いていない。それは、思想を克服していないためであり、言葉に含めた意味を引きずっているためである。克服していない思想は、しばしば因果応報である。組織を出たから、生活がうまくいかないのだと自分で自分を裁いている。原因は、組織を出たからではなく、組織の思想を克服していないからである。克服のために必要なものは、ただ一生懸命社会復帰に取り組むことでもなく、楽しく過ごそうといろいろなことに挑戦することでもない。思想を克服するためには、違った思想を学び、比較しながら思索することである。そのようなことに取り組む意欲のない人は、思想を持っている人と対話することである。この時、危険と思われる思想は避けるべきである。カルトの波から新しいカルトの波に乗り換えるカルト・サーファーが多いのはこのためである。私は克服に役立ついろいろな本を推薦している。また、対話を持っている。
by maranatha | 2016-03-24 19:51

自殺は罪ですか

 自殺は罪であるという教えに多くの人が苦しんでいる。本当に罪だろうか。罪だと言う根拠にモーセの十戒が引用されるが、これは自殺を罪とする根拠にはならない。これは「殺してはならない。」(出エジプト20:13)であって、自殺してはならないではない。殺してはならないと命じる神が、イスラエルの民を滅ぼそうとする民を滅ぼせと命じられることもある。こういうわけで、何が何でも殺してはならないわけではない。これはイスラエル共同体の中で、殺しがあってはならないとの戒めで、これを破る人は死罪になる。死刑を実行する人は罪に定められない。自殺が罪と明確に書いてある箇所は聖書の中にない。これはキリスト教の歴史の中で罪とされてきたもので、これは改めなければならないものである。自殺してはならないを、キリスト教の教えとして広く伝えることになったのは、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』である。ガラシャは自殺は罪なので、家臣に自分を殺させている。これを美談にしている。死を選択しなければならない状況で、自殺できないので他人に自分を殺させる。もし自殺が罪なら、殺させることも罪である。何事も置かれた状況によるのであって、一律に自殺を罪とする考え方は誤っている。法律では自殺を罪としていない。聖書の中でも自殺を罪としていない。自殺を罪とするのは、習慣的な考え方である。この習慣が自殺をした人の遺族を苦しめる原因になっている。作られた罪意識が、人を苦しめるなら、私たちはそれを変えていかなければならない。鬱の回復期の自殺を罪と見做すのは酷である。自死を選択するほどに追い詰められた状況、原因にも目を向けるべきだ。よって、私は自殺を罪とするキリスト教的な教えを聖書の教えと違うものと見做している。(2013.2.11の記事を再掲載)
by maranatha | 2016-03-23 23:42

記録の勧め

 何か問題に直面した時、記録を取ることを勧めたい。まず、記録は時系列に簡単にまとめる。いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのようにの6つの要素をできるだけ満たして書く。次に、時系列の文書の末尾に、資料(1)、(2)か別紙(1)、(2)として資料や別紙を添付したりする。相談者は、人や出来事を知って話すが、聞き手は、人や出来事を相談者のように知っているわけではない。概観と詳細を組みあわせしたファイルは第三者にとって、とても分かりやすいものである。誰かに相談されるとき、そのファイルをコピーして、事前に郵送して読んでいただくようにすれば、相談時に要領を得た話し合いができる。資料としては、文書だけではなく、写真やCD、映像もある。CDを資料として渡す場合は、CDと音声を文字化した文書を添付した方が良い。映像が長い場合は、一番伝えたいところをカットして提供することを勧めたい。CDも映像も現物を保存しておくことを心掛けてほしい。問題を解決しなければならない時、記録を取っているかいないかで明暗が分かれる。

by maranatha | 2016-03-21 22:35

東京ブランチの礼拝報告

東京ブランチの変更のお知らせ
5月1日村上師、8日テープ
その以外は予定通りです。

東京ブランチでの村上の礼拝説教の担当日をお知らせします。
土曜日の礼拝が4月からなくなります。テープ礼拝を減らし、
直接に教職が礼拝説教を担当するするようになりました。

2016年 礼拝予定(日曜日)
3月6日村上師、13日0師、20日テープ、27日村上師
4月3日村上師、10日テープ、17日k師、24日w師
5月1日    8日    15日0師、22日w師、29日テープ
6月5日村上師、12日テープ、19日k師、26日w師
7月3日村上師、10日テープ、17日0師、24日w師、31日テープ
8月7日村上師、14日テープ、21日k師、28日w師
9月4日村上師、11日テープ、18日0師、25日w師
10月2日テープ、9日村上師、16日k師、23日w師、30日テープ
11月6日村上師、13日テープ、20日0師、27日w師
12月4日村上師、11日村上師、18日家庭礼拝、25日家庭礼拝
2017年 礼拝予定(日曜日)
1月1日家庭礼拝、8日村上師、15日テープ、22日k師、29日w師

by maranatha | 2016-03-16 23:48

カイロスの会セミナー

カイロスの会セミナー

「十字架と復活」
 
四福音書に見る、預言の成就としての十字架と復活を学びます。加えて、パウロ書簡が十字架と復活を、どのように伝えようとしているのかを学びます。
十字架と復活の出来事と意味を学び、信仰生活に役立つセミナーとします。


●講師 村上 密 牧師

●日時 2016年5月28日 土曜日 13時30分より

●場所 沖縄船員会館 (那覇市前島3-25-50 TEL 098-868-2775)
*お車でおこしの方は、とまりんの駐車場をご利用ください。

●参加料 1000円

①13:30~15:30   発題

②15:45~16:45   質疑応答


●お問い合わせ newlife0102@hotmail.com  090-9782-5892 (新垣)

by maranatha | 2016-03-16 18:12 | カイロス

天国で罰があるか

 天国に行っても罰があると信じているクリスチャンがいる。それは次の聖句の「報い」を誤って理解しているからである。「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。」(ローマ2:6)この聖句には説明がある。「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え」(7)「党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」(8)簡潔に言えば、信じる者には永遠のいのち、信じない者へは裁きである。これが「報い」の説明である。
by maranatha | 2016-03-04 21:40
宗教問題