人気ブログランキング |
ブログトップ

村上 密 Blog

<   2016年 06月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ギュツラフ 光と陰

カール・ギュツラフは現存する最古の日本語訳聖書『ギュツラフ訳聖書』を翻訳した人物である。『日本開国』(渡辺惣樹 草思社文庫)を購入して読んでいると、彼について伝記では出てこないようなことが記述されている。「ギュツラフは、前任者のモリソンが亡くなってから、布教には圧倒的な海軍力を見せつける必要を感じ、教団を通じてそれを訴えてきました。この自己中心的な(SinoCentric)帝国の弱体化のためには、ジャーディーン・マセソン商会の配下でアヘン密売網を広げることも厭いませんでした。満州沿岸まで密輸船を駆使して旅をしました。」(p86)「ジャーディーン・マセソン商会の尖兵となり、支那沿海部に密売ルートを作り上げてきたギュツラフ師。」(p95)その他にも彼に関することが出てくる。ギュツラフは、中国宣教だけでなく、工作活動をしていた人物となる。
by maranatha | 2016-06-30 21:18 | 光と陰

さばきなさい

「赦しなさい」は聞くが、「さばきなさい」はなかなか聞かない。しかし、イエス・キリストは「天の御国のかぎ」をマタイ16章ではペテロに、18章では他の弟子たちにも与えておられる。これは、教会に与えられた裁きの権限である。そして裁きの段階を教えている。「天の御国のかぎ」はコリント教会にも与えられている。ある人が、世の裁判に訴えた。パウロは教会が裁くべきではないかと言いたいのである。

「また、もし、あなたの兄弟が{あなたに対して}罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」(マタイ18:15~18)

以下は、マタイの18章15節から18節の簡単な解説である。
「もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」
加害者が罪を認め、悔い改めた場合のことを言っている。

「もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。」
これは1対1の話し合いを拒否した場合、被害者は証人を伴って、罪の確認をする。

「それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。」
証人を伴う話し合いで、罪を認め、悔い改めを勧めても拒否する場合は、教会にこの問題を扱うように勧めている。

「教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」
教会による兄弟の罪に対する審判を受け入れない場合、教会から追放するように勧めている。

「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」
教会が禁ずるなら「天」(マタイでは神をみだりに使わない)でも禁じられる。赦すなら、天でも赦される。さばきは重い責任である。慎重な手順が踏まれるべきである。しかし、カルト化教会では、被害者の訴えは退けられる。間違った教会と天が完全に一つでないことを理解しなければ、服従関係に縛られることになる。にせ教師に惑わされないようにしなければならない。


by maranatha | 2016-06-28 19:20

鳴尾キリスト福音教会 NOW

鳴尾キリスト福音教会(以下、鳴尾)の週報「2016年4月3日(日)2755号」を入手した。その中に、「先週の礼拝出席数 大人19名・子ども11名 合計30名」とあった。先週とはイースターである。イースターに大人が19名とは、随分な礼拝出席者の減少である。

以前、信徒数の急激な減少をブログで指摘したとき、赴任以前を不正確と言い逃れている。減少数を不正確と否定しているが、減少そのものを否定しているわけではない。現在の信徒数を知ることはできないが、山田氏赴任は2002年11月である。2016年の信徒数は、指摘したときよりも激減していることは明白である。2003年は94名、2004年89名、2005年69名、2007年63名である。今やイースターで大人の礼拝数が19名である。

山田氏は、2009年3月31日付で、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団(以下、AG教団)に辞職願を提出したが、受理されず、2012年10月29日付をもって、AG教団から「除名に相当する解任」の重い処分を受けている。処分の理由は3つで、抜書きすると「教会規則を教団理事会の承認なく改竄した」、「教団離脱を秘策した状態で鳴尾教会の教会規則変更を敢行した」「一連の紛糾問題の発端となった他教会への牧会介入は、明らかな牧会倫理違反」である。鳴尾は、2009年4月5日の臨時総会でにAG教団を離脱することを決議した。昨年(2015年)、教団離脱決議から6年、鳴尾に日本基督教団に加入手続きの動きがあったが、実現していない。この動きを、以前ブログで書いたが否定はしなかった。鳴尾のホームページを見ても、単立のままである。一体、何のための離脱だったのか。日本基督教団の加入を希望する発言は離脱以前からあった。その希望は実現していない。

by maranatha | 2016-06-27 21:42 | 山田博&晃美

神の恵み

「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。」(8:1~3)この所は読むと残念な気持ちになる。だが、読み続けると、神の恵みを学び取ることができる。

「箱が安置所に納められて後、ダビデが主の宮の歌をつかさどらせるために立てた人々は次のとおりである。彼らはソロモンがエルサレムに主の宮を建てるまでは、会見の天幕である幕屋の前で、歌をもって仕え、おのおのその定めに従って、奉仕を担当した。 仕えた者たちとその一族は次のとおりである。ケハテ族からは歌い手ヘマン。彼はヨエルの子、順次さかのぼって、サムエルの子」(1歴代誌6:31~33)サムエルの孫はりっぱな働き人となっている。さらに読み進めると、神の祝福が子々孫々にそそがれている。

「ヘマンについて。ヘマンの子は、ブキヤ、マタヌヤ、ウジエル、シェブエル、エリモテ、ハナヌヤ、ハナニ、エリヤタ、ギダルティ、ロマムティ・エゼル、ヨシュベカシャ、マロティ、ホティル、マハジオテ。これらはみな、神のことばに従って、角笛を高く上げる王の先見者ヘマンの子らであった。神はヘマンに息子十四人と、娘三人を与えられた。これらはみな、その父の指揮下にあって、シンバル、十弦の琴、立琴を手に、主の宮で歌を歌って、王の指揮の下に神の宮の奉仕に当たる者たちである。」(1歴代誌25:4~6)へマンは先見者で、「預言する者」(25:1)ある。サムエルはダビデに油をそそいだ。そしてサムエルの子孫たちはダビデ王の時代に礼拝に奉仕するものとして仕えた。

by maranatha | 2016-06-25 23:31

全能の神

主はモーセに語りかけられた。「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現われたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。」(出エジプト6:3)「主(ヤハウェ)」はモーセにはじめて啓示された名である。「全能の神」は以下の通りにアブラハム、イサク、ヤコブに知らされた。そして3人の族長は、確かに神が全能の神であることをその生涯で体験した。

神はアブラハムに語りかける
「アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(創世記17:1)ここに「主」が出てくるが、「主」を知らされたモーセが書いているからである。

イサクはヤコブに語りかける
「全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。」(創世記28:3)神がイサクに「わたしは全能の神」と語りかけておられるわけではないが、イサクは全能の神をアブラハムから知らされている。そしてヤコブに全能の神を伝えている。イサクは全能の神の恵みに預かった。「イサクは自分の妻のために主に祈願した。彼女が不妊の女であったからである。主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻はみごもった。」(25:21)

神はヤコブに語りかける
神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。」(創世記35:11)ヤコブはアブラハムと同様に神から語りかけを直接に受けている。

ヤコブは子どもたちに語りかける
「全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」(創世記43:14)ヤコブはききんの中で全能の神により頼んでいる。

ヤコブはヨセフに語りかける
「ヤコブはヨセフに言った。『全能の神がカナンの地ルズで私に現われ、私を祝福して』」(48:3)ヤコブは「全能の神」をヨセフに伝えている。ヨセフは、神が全能の神であることを生涯を通して体験した。




by maranatha | 2016-06-25 21:52 | 聖書

エホバの証人 ロシアで解散

「JW、ロシア、解散」と検索して見よう。
ロシアでの動向がつかめる。
以下のブログを検索すると、
http://ameblo.jp/nakanokatsuhiro/entry-12169156600.html
JWがロシアで敗訴し、法人の解散が確定したと報じている。
これは宗教問題の大きなニュースである。

by maranatha | 2016-06-10 22:50 | エホバの証人

さばいてはならない

さばいてはならない

さばいてはならない。権威主義の教会で被害にあった人が牧師からよく聞く言葉である。聖書はさばきを禁じてはいない。むしろ、正義と公正をもってさばくように教えている。教会の中で起きる問題をさばかないで対処すれば、教会は無法を招き、次から次と問題を抱えるようになる。むしろ、正しくさばくことによって、問題を未然に防ぐのである。

赦しなさい

赦しなさい。これも権威主義の教会でよく聞く言葉である。謝罪も償いも加害者に問わないで、一方的に被害者の声を封じようとする発言である。果たして、牧師が被害者の立場であったどうだろうか。これは実験である。赦しなさいと言った時、殴り、その人の持ち物を壊す。何をするんだと牧師が怒ったら、先ほどの発言が本心かを実験しました。自分が当事者でないと、簡単に片づけようとする傾向がある。それも、さも正しい教えであるかのように。

ごめんなさい

とりあえず、ごめんなさい、と言っておく。謝罪と見せかけた責任回避である。加害者が、簡単に謝罪で済ませて仕舞うことに、何に対して謝罪されたのですかと聞くと、相手は口を閉ざしてしまう。責任を感じて、謝罪しているのであれば、責任の取り方がある。それが心からの謝罪であり、償いである。被害者の損害で事は終わらない。加害者は被害者へ償うべきである。それでも何もしないで加害者が逃げ回るなら、追いかけて、殴って、とりあえずごめんなさいと言っておこう。そして、財布の中にお金がある場合であるが、被害総額を財布から取りだして、自分にかかった費用を支払ってみよう。相手がごめんなさいで済ませるだろうか。私はある人の代理人となってとりあえずごめんなさいで済ませている牧師に対して、何について謝罪されたのですかと質問をしているが、返答がない。逃げ回って2年になる。何度も文書を送っている。最近、教会の週報に牧師のための祈りのリクエストが掲載された。病名は突発性の難聴である。被害者の声に耳を傾けないので、他の人の声も聞こえにくくなってしまった。私は文書でこれからも心からの謝罪を要求し続ける。

*一部に過激な発言があるが実行してはならない。例えばの話である。悪に対しては善で報いなければならない。私的な報復はすべきではない。公的(法)に問うことは問題ない。

by maranatha | 2016-06-03 19:49 | 聖書

死刑

「聖書用語検索」で「死刑」を検索すると、モーセ五書の中では7節が出てきた。モーセの十戒に「殺してはならない」とあるが、「もしだれかが人を殺したなら、証人の証言によってその殺人者を、殺さなければならない。」(民数35:30)とある。殺してはならないが無条件ではないことが分かる。「しかし、ただひとりの証人の証言だけでは、死刑にするには十分でない。」(民数35:30)「あなたがたは、死刑に当たる悪を行なった殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない。」(民数35:31)殺人者は贖い金で死刑を免れることはできない。また、殺人者の代わりに誰かが身代りになることもできない。殺した人は殺される。ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。」(申命記17:6)「死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」(申命記17:7)死刑に処するのはまず証人である。嘘の証言で相手を殺した場合、その証人の嘘が後に発覚すれば、その人は殺される。なぜなら、無実の人を殺したからである。血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。」(申命記19:6)過失の者を殺してはならない。彼は逃れの町で生活できる。「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、」(申命記21:22)「次の日まで木に残しておいてはならない」(21:23)婚約中の女性が誰かに襲われた場合、その女には何もしてはならない。その女には死刑に当たる罪はない。この場合は、ある人が隣人に襲いかかりいのちを奪ったのと同じである。」(申命記22:26)強姦と殺人は死刑である。

旧約時代に、もし、A氏がパワハラによって、B氏を死に追いやった場合はどうだろうか。直接に手を下したわけではないが、複数の証人によって、自死の理由がA氏のパワハラであると証明されれば、責任が問われる。死に追いやることを意図して行ったのであれば、死刑に値する。しかし、自死するとは思わなかったのであれば、逃れの町に逃れることができる。その場合、その人が重要な仕事をしていても、それを続けることはできない。その人は、過失によっていろいろ失うが、いのちを取られることはない。

by maranatha | 2016-06-01 22:58
宗教問題