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村上 密 Blog

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恐れるな 畏れよ

恐れ
「イスラエルの人はみな、この男を見たとき、その前を逃げて、非常に恐れた。イスラエルの人たちは言った。『あの上って来た男を見たか。イスラエルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。』ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。『このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。』民は、先のことばのように、彼を殺した者には、このようにされる、と答えた。」(1サムエル17:24~27)

恐れに立ち向かわせる
「この男」とは身長6キュビト半(約2.9メートル)のペリシテの代表戦士ゴリアテである。この男になぶられても、この男に戦いを挑むイスラエルの戦士はいなかった。すべての戦士たちが彼を恐れていた。サウル王は、恐れを乗り越えさせるために、兵士たちに約束した。それを聞いた兵士はダビデに言った。「あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」サウルの約束を3つである。

1つ、大いに富ませる。
これほど人の心を動かす物はない。しかし、いのちを失ったら手に入れることはできない。冨といのちのどっちを選ぶかと言われれば、だれでもいのちを選ぶ。

2つ、自分の娘を与える。
富と権力を得るための近道は、富と権力を手にしている人の娘と結婚することである。部族社会では、娘は政略のために利用される。後の話だが、「サウルの娘メラブをダビデに与える、という時になって、彼女はメホラ人のアデリエルに妻として与えられた。」(1サムエル18:19)「サウルは娘ミカルを妻としてダビデに与えた。」(1サムエル18:27)その後「サウルはダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリムの出のライシュの子パルティに与えていた。」(1サムエル25:44)サウル王亡き後「ダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使いをやって言わせた。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった私の妻ミカルを返していただきたい。」(2サムエル3:14)と要求している。(補記1)

3つ、義務を負わせない。
神に仕えるレビ人を支えるために什一がイスラエルの民には義務付けされていた。この什一に更に什一が加わることになる。イスラエルの民が王を求めた時、神は「王の権利」を定められた。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。あなたがたの娘をとり、香料作りとし、料理女とし、パン焼き女とする。あなたがたの畑や、ぶどう畑や、オリーブ畑の良い所を取り上げて、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどうの十分の一を取り、それを自分の宦官や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や、女奴隷、それに最もすぐれた若者や、ろばを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。」(1サムエル8:11~17)ゴリアテが言った「おまえらはサウルの奴隷ではないのか。」(17:8)はその通りである。「エッサイの上の三人の息子たちは、サウルに従って戦いに出て行った。戦いに行った三人の息子の名は、長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シャマであった。」(1サムエル17:13)更に七男ダビデもサウル王に仕えることになった。(補記2)

人や獣を恐れず
「ダビデはサウルに言った。『あの男のために、だれも気を落としてはなりません。このしもべが行って、あのぺりシテ人と戦いましょう。』」(1サムエル17:32)勝利の根拠は、神の助けを羊飼いとして経験した。ゴリアテとの戦いにおいてもあると確信している。「『しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。ついで、ダビデは言った。『獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。』サウルはダビデに言った。『行きなさい。主があなたとともにおられるように。』」1サムエル17:34~37)

主を畏れる
「ダビデはぺリシテ人に言った。『おまえは、剣と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。』」(1サムエル17:45~47)

補記1
羽柴秀吉は、浅井長政の亡き後、その妻お市を娶ろうとした。彼女が天下人織田信長の妹だからである。豊臣秀吉は後にお市の娘の茶々を側室にした。徳川家康はお市の娘の江を秀忠の妻に向かえている。江の遺伝子を受け継ぐ者は、その後今日に至るまで多数が支配者階級に属している。閨閥による冨と権力の世襲が古今東西に見られる。

補記2
憲法9条が改正されたら、、国民の負担は確実に増加する。息子娘はやがて兵士となる。残る息子娘は大学進学を文系から理系に切り替え、卒業後は軍事産業に務める。兵士の戦死と心身の負傷に伴う遺族・傷病手当は増加する。仮想敵国との軍拡競争が繰り広げられる。軍事費は増加し、他の予算は削られる。少子化社会で実子の息子娘を戦争で失う。少子社会では養子縁組は困難を増す。老後を見る子もなく、貧困社会を招く。遺族は、わずかな国家からの戦没者遺族年金に依存的となり、声なき羊となる。
by maranatha | 2016-07-27 00:00

祈り

何でもお祈りで話を終わる牧師がいた。
ある時、ある人が牧師に相談した。
相談を終えた後、牧師はお祈りしましょう、と言った。
相談に対する具体的なアドバイスは何もなかった。
ある時、教会を訪ねた。牧師館から煙が出ていた。
それで牧師に、牧師館から煙が出ています、と伝えた。
牧師は言った。お祈りしましょう。(水をかけに行かんかい!)
by maranatha | 2016-07-23 21:56

熊本弁

『苦界浄土』でよく知られる作家の石牟礼道子は熊本県生れである。『月刊ウェンディ』(1)の中に彼女の記事があった。その中で、彼女は彼女の父が敬語で祖母に「夕飯のご膳でござい申す、膳をつけ申せ」「いただき申しやす」と語り語りかけているのを書いている。家族のことも書いてあり、興味深い記事である。記事を読んでいて、私も熊本県生まれだが「申す」は使わない。気になって調べて見た。「ぜーたの熊本弁講座~「申す」系の敬語・尊敬語~」(2)に「これは『球磨郡』で使われる言葉です。」とあった。記事を読んで熊本の母の言葉をいろいろ思い出した。母はよく敬語や尊敬語を使っていた。「~なはる」はなんとも上品である。

(1)月刊ウェンディ九州版2016年7月15日(第326号)
(2)http://minkara.carview.co.jp/userid/499612/blog/37897454/
by maranatha | 2016-07-22 21:51

女の愛にまさる愛とは

女の愛にまさる愛
ダビデは、ヨナタンの訃報を聞いて、悲しみの歌を作った。その一節に「あなたのために私は悲しむ。私の兄弟ヨナタンよ。あなたは私を大いに喜ばせ、あなたの私への愛は、女の愛にもまさって、すばらしかった。」(2サムエル1:26)とある。「女の愛にまさって」はどんな愛だろうか。

女の愛にまさる愛を知る手掛かり
1、「ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。」(18:1)「ヨナタンの心はダビデの心に結びついた」は「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した」と同じような意味である。
2、「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。」(18:3)「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した」が再度出てくる。
3、「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。」(20:17)「ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していた」は、これで3度目である。
4、「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。」(20:17)なんと、「ヨナタンは自分を愛するように、ダビデを愛していた」が4度目である。このように繰り返し、繰り返し、同じ言葉が出てくる。
以上のことから女の愛にまさる愛は、新約聖書に出てくる律法の要約である「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マルコ12:31)となる。ヨナタンはダビデを友愛ではなく、犠牲的な愛、新約で言うところのアガペーの愛で愛した。

ヨナタンの犠牲的な愛
ヨナタンはダビデとの契約に基づき、ダビデを殺そうとした父サウルの手から一計を案じて逃れさせた(1サムエル19章20章)。これはいのちを掛けた行動である。また、ヨナタンは王位継承権を持っているのに、王になるのはダビデと言っている。「彼はダビデに言った。『恐れることはありません。私の父サウルの手があなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。私の父サウルもまた、そうなることを確かに知っているのです。』」(1サムエル23:17)ヨナタンは血統ではなく、ダビデのような人こそ王になるべき人と心から思っているのである。
by maranatha | 2016-07-14 22:45

ぬりえ

日本画家の宮元政治氏が『四季をたのしむ 京友禅ぬりえ』(淡交社)を発表した。自宅を画廊にして、作品が展示されている。どんな作風かと思っていると、本の著者紹介に「平成の琳派とも呼ばれる画風で活躍」とあった。ぬりえは流行であるが、京友禅のぬりえはめずらしい。日本人だけではなく、外国人にも受けるのではないかと思っている。

「new wind in京都」(http://newwindkyoto.jugem.jp/?eid=108)を検索すれば新しい分野のぬりえに挑戦できる。
by maranatha | 2016-07-14 18:15

社会的処方

173.知っておきたい”社会的処方”という解決法 
(https://cocoyaku.jp/feature/37/4433より一部抜粋)
日本女性薬局経営者の会設立記念シンポジウムで産経新聞社の編集委員・佐藤好美さんが紹介した英国の医師・澤憲明さんの考え方で、端的に言ってしまえば薬を処方するのではなく、社会的な助けを“処方”する方法だ。事例として、「80歳代の女性患者は首が痛い、腰が痛いなど訪問診療の依頼をしてきた。実際に訪問すると、友達がおらず家族は遠方に住んでいるなど、止めどなく話し続け、『さみしい』と訴えてきた」という。澤医師はしばらく話しを聞き「趣味が散歩や読書だと聞いて、地域の散歩クラブや読書クラブを紹介すると、しばらくすると友達ができて訪問回数が大きく減少した」と分析し、「彼女に必要だったのは薬ではなく、社会的な繋がりだった」と結論付ける。

カルトに子どもが入信してしまった。親戚や友人には話しづらい。子どもを助け出す情報と手段がない。このようなことで悩む親は多い。心配が高じて鬱になる親もいる。以前、同じ境遇にいる親たちが情報交換し、助け合うように会を作って、精神的に孤立しないように対策を取ったことがある。今は、カルト化した教会から脱会した人たちが、精神的に孤立しないように会を作ることを勧めている。このような会で、どれだけの人々が慰められ、情報と力を得て、助けられたことだろう。カルトは入信した人を家族から断絶させる。そこで必要なのが、共通項の多い人々の関係の構築である。

夫を亡くした夫人をカウンセリングしたことがある。しばしば、喪失と悲嘆により、鬱や鬱傾向にある。しばらくカウンセリングを続けてから、最初の話を一週間或いは一月間の中で何か楽しかったこと、うれしかったことを話してくださいと話しかけた。それを繰り返すうちに、明るさが戻ってきた。すると、同じような婦人たちが誘われてくるようになり、グループカウンセリングみたいになった。同じことを続けていると、笑い声が出るようになった。ある時、なぜ、同じようなことを繰り返しているか考えたことがありますかと尋ねた。答えは帰ってこなかった。そこで、私は、皆さんの話は悲しい、苦しい、寂しいがまず初めに出てきます。そうすると会話のパターンが決まってしまい、身近な人からまた始まったと、距離を取られます。それが疎外です。話しのパターンをつらい中にあっても楽しいことから始める試みは、楽しく、笑いありで、参加者は精神的に回復していった。これも社会的処方と言える。社会的処方は薬がいらない。処方薬は温かな人間関係である。
by maranatha | 2016-07-12 20:12

叫び

人を殺すには刃物はいりません。
刃物に等しい言葉でも可能です。
私はカルト問題を扱ってきました。
傷ついた信者の自死を今まで何度も聞いてきました。
電話やメールでの自死に関する相談もあります。
助けになればと耳を傾け続けています。
下記は夫の自死を体験した妻の叫びです。

わたしたちの経験したこと(ある教会の出来事)
http://peacechurch.diary.to/

by maranatha | 2016-07-08 23:14

ダビデの勇士たち

ヘテ人ウリヤはダビデの勇士である。勇士たちは、ダビデの逃避行中に、ダビデのもとに集まった。興味深いのは、ウリヤはヘテ人、外国人である。ヘテ人はアブラハム物語に出てくる。アブラハムは、カナンの先住民であるヘテ人と亡き妻サラのために、墓地購入の交渉をしている(創世記23章)。ヘブロンのヘテ人はマクペラの土地をアブラハムに売った。ウリヤの両親はイスラエルの神を信じている。それは、その子に「ウリヤ」(ヤㇵウェは光)と名付けたことで分かる。外国人はウリヤの他にも見受けられる。

ダビデの勇士たちの中に、「ギロ人アヒトフェルの子エリアム」(2サムエル23:34)がいる。ウリヤは、「エリアムの娘バテ・シェバ」(2サムエル11:3)と結婚している。エリアムは勇士であるウリヤを良く知っていた。自分の娘をウリヤに嫁がせたのであるから誇らしくあったであろう。アブシャロムがダビデに対してクーデターを起こしたとき、ダビデを追い詰める作戦を進言したのはアヒトフェルである。このことは、孫娘の夫ウリヤを謀殺したダビデに対する復讐と思われる。「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみな、ダビデにもアヒトフェルにもそのように思われた。」(1サムエル16:23)

話しは逸れるが、ソロモンは神からすぐれた知恵を与えられた。母方の曽祖父アヒトフェルは大変な知恵者であった。

by maranatha | 2016-07-06 17:28

ダビデの逃避行

ダビデの逃避行はイスラエルの領内それもユダ族の支配地に限られていた。しかし、ダビデは、サウルが優勢になったとき、イスラエルの敵であるぺりシテのガトの王アキシュのもとに逃れ、両親をモアブの地に移した。モアブは外国である。それも、死海の東側である。国内には両親を安全に匿う場所がなかった。なぜモアブがここに出てくるのか。モアブはルツ記によるとダビデの先祖が飢饉の時に滞在したところである。ルツ記にはモアブの女ルツがベツレヘムでボアズと結婚してオべデを生んだとある。オべデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデである。ダビデの父エッサイにとって、モアブは祖母の地である。親類縁者もいたことであろうが、ダビデは「両親をモアブの王の前に連れて行ったので、両親は、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだ。」(1サムエル22:4)関連記事を学べばばダビデの物語は豊かになる。

by maranatha | 2016-07-06 13:56

油まきはしないが やっていることは同じ

霊の戦いを実践している牧師や教会員は、今何をしているのだろうか。ある人々は、熊本に大きな地震があったので、加藤神社やその他の霊的スポットへ行って祈っている。活断層のとりなしという変なこともしている。彼らは油まきこそはしないが、やっていることは、油まきの金山と同じ思想である。霊の戦いをする人々は、自分たちが神側なので、やっていることが間違いだとは思わない。非難する人をおかしな人と決めつける傾向にある。この地のもっとも暗闇の深い偶像礼拝の現場である神社、仏閣、霊的スポットへ行って、とりなしの祈りにより、イエスの勝利の十字架を打ち立てることこそが、その地をまたそこに住む人々を罪の呪いから解き放ち回復する唯一の有効な霊的な方法と思い込んでいる。間違いに気付くまでは、人々の救いのために真剣にとりなして回る。そして、一生懸命に霊戦いをしている自分は、他のクリスチャンより霊的だと高ぶっている。

by maranatha | 2016-07-05 16:54 | 油まき
宗教問題