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村上 密 Blog

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ピーター・ワグナーの死因

1月3日のブログでピーター・ワグナーの死亡について書いた。その時、死因がわからなかったが、以下のサイトを見つけた。どうも心臓のうっ血性心不全のようだ。

<He was 86 years old, passing away at 2:30 pm on
Friday. Wagner suffered from congestive heart failure in part of his heart.>
(https://hellochristian.com/4927-apostolic-leader-c-peter-wagner-die...より)

by maranatha | 2017-01-30 16:28 | 新使徒運動

依頼か強制か

依頼に対してはイエスかノーを言える。強制はノーが言えない。依頼される人は、ときどきイエスとノーを使い分けないとなんでも応じてくれる人と誤解される。依頼に応じ続けていると、断りたくても断れない気持ちになる。イエスマンになってはいけない。依頼する人は、なんでも応じてくれる前提で依頼しているわけではない。しかし、断ったとき、なぜですかと言えば、説得による強制に移行する。依頼する人は断られたとき、わかりましたで済ませればよいことである。断る理由は人によって言いたい場合と言いたくない場合がある。質問で断りの理由を詮索しないことである。素直にイエスかノーかを受けとめればよいのに、自分の依頼を優先するために、相手に不快感を与えてしまうことになる。

by maranatha | 2017-01-30 11:50 | 心理

情報提供

統一教会の動きが以下のサイトに掲載されている。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170124/Litera_2871.html

by maranatha | 2017-01-28 22:06 | 統一教会

足音

ナチスが共産主義者を攻撃した。
彼はやや不安になったが、
彼は共産主義者ではなかったので、
何もしなかった。

そして彼らは社会主義者を攻撃した。
彼は不安だったが、
社会主義者ではなかったので何もしなかった。

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、
彼はそのたびに不安になったが、
やはり何もしなかった。

そして彼らは教会を攻撃した。
彼は教会の人間であった。
だから彼は何かを行なった。
しかし、それは遅過ぎた。
(ミルトン・マイヤーが記録したマルティン・ニーメラーの言葉)

ナチスが台頭していくとき、多くの教会はヒットラーを支持した。
トランプが大統領選の時、保守的な教会は彼を支持した。
彼らは雇用を強調した。反対する人は少ない。
歴史を学ばないと同じことを繰り返す。
やがて教会は苦難の時を迎える。

私が異端と戦っていたとき、教会は支持した。
私がカルトと戦っていたとき、教会は支持した。
しかし、カルト化教会と戦い始めたとき、教会は戸惑った。
教会の問題を扱い始めたときは、教会は拒絶し始めた。
その時、教会は、異端や間違った教えに侵食されつつあった。
異端、カルト、カルト化教会、教会と扱う範囲が広がった。
被害者の叫びが届かない日はない。
教会が歴史的に多くの罪を犯してきたことを学べば、
教会はもっと謙虚になる。
キリスト者は赦された罪びとである。
教会も赦された罪人の集まりである。
罪を犯さない集団はない。

by maranatha | 2017-01-28 21:17 | 歴史

宗教の貧困ビジネス

1月26日、さいたま市は、宗教法人「善弘寺分院宗永寺」に対して、施設新設や新規入居者の受け入れ禁止を命じた。宗永寺は同市岩槻区内で計5ケ所の無料・低額宿泊所を営んでいる。宗永寺は生活保護自給者の入居者と金銭管理契約を結び、自給直後に保護費を回収していた。このような強制回収は、同市の条例で禁止されている。

このような貧困ビジネスは他宗教でも行われている。これは氷山の一角にすぎない。沖縄のあるキリスト教会が貧困ビジネスを行っており、しばしば、その中に行われていることが耳に届いてくる。警察署を訪ねて、情報を提供はしている。このたびの報道で、生活福祉課へ情報提供して、行政処分の可能性を考えた。善行と見せかけて悪徳を重ねる偽善行為を見過ごしにはできない。

by maranatha | 2017-01-27 11:15 | 宗教ビジネス

アメリカ大統領の就任式に臨む聖職者

ドナルド・トランプの大統領の就任式には、どのような聖職者が出席するのか。以前、トランプがノーマン・ビンセント・ピール牧師の教会に通っていたことをブログに書いた。ノーマンは繁栄の神学でよく知られている。今回の就任式には、同じような傾向の牧師が出席する。ウェイン・T・ジャクソン牧師、ポーラ・ホワイト牧師である。ポーラについては、ベニー・ヒンとの不適切な関係について以前にブログに書いた。

大統領の就任式は、昔、ビリー・グラハム牧師が司式を行った。今では就任式は宗教の多様性を表す場となっている。カトリックから、ユダヤ教からの聖職者の出席がある。就任式には、ビリーの息子のフランクリン・グラハムも出席する。フランクリン親子は共和党支持者で、前回の大統領選で共和党のロムニー候補を支持した。ロムニーはモルモン教徒である。


ドナルド・トランプの宗教的背景
http://maranatha.exblog.jp/24831939/

ベニー・ヒン
http://maranatha.exblog.jp/17348635/

ビリー・グラハム
http://maranatha.exblog.jp/13014788/

フランクリン・グラハム大会中止
http://maranatha.exblog.jp/19321138/

by maranatha | 2017-01-20 10:09 | 政治

牧師の問題を扱う

牧師の問題を信徒が扱う場合、明確な証拠と証人がいなければ、責任は問えない。それは、刑事訴訟であろうと民事訴訟であろうと同じである。信徒が、証拠も証人もなく、牧師の問題を扱うと、名誉棄損で訴えられることもある。信徒が牧師の問題を、役員会に出した場合、牧師は利害関係人である。牧師は自分の問題に関する議事の時には、役員会から退席しなければならない。しかし、そのことをわきまえている牧師は少ない。牧師は、役員会で自分の弁護をしきりにする。そして、訴えた人が不利になる。それで、信徒が、役員会に訴える場合は、牧師は利害関係人なので、役員会ではこの件では退席するように進言しなければならない。役員会は、訴えが真実かどうかを、訴えた人、証人、証拠を吟味する。また、役員会は、牧師に質問し、それが真実かどうかを吟味しなければならない。権威主義の教会では、役員会が牧師の問題を扱えないことが多い。牧師を「神の代理人」と思わされているからである。役員会は代表役員の牧師と信徒の責任役員は平等である。決まったことにはどちらも従わなければならない。牧師の多くの問題を扱ってきたが、牧師の問題は、教会規則に基づいて、役員会で扱った方が良い。規則に基づかない教会運営をしていれば、監督責任が問えるからである。ただし、規則に倫理規定がない場合、牧師の問題を扱うのは極めて難しい。悪い牧師は居座り続け、訴えた信徒を精神的に虐待するからである。牧師の問題は、まずは役員会に文書で知らせる。正しく扱わなかったら、刑事事件なら刑事訴訟、民事事件なら民事訴訟で裁判に訴える。時効があるので、、時効を検索して調べておくのが良い。時効が来ていても、教会では道義的責任を訴えることができる。
by maranatha | 2017-01-16 21:43 | 牧師

偽善

ある教会が、ある人に対して、医者でもないのに、病名をつけた。
そして、ある教会は、間違った病名を文書に書いて、ある人に送った。
それには、回復するまで、教会は対応できないと書いてある。
その教会のホームページに聖句がある。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
教会に病気をいやしてほしい言っているのではない。
それでも、教会は来訪を願っていない。
回復するようにお祈りしますと文書に書いてある。
その祈りは、拒絶しているのに、教会を正当化する言葉である。
なんという偽善。
間違った病名をつけて、対応を切ることは、差別である。
その人は、この対応に、深く傷ついた。
それ以前から、教会の対応に傷ついていたからである。
傷口に塩や唐辛子を擦り付けられたようなものである。
うめき、苦しみ、私のもとに電話をかけてきた。
私は遠くに住んでいるその人を訪ねた。
苦しんでいるその人と母を伴って人権擁護局を訪ねた。
私たちは今までの経緯を説明した。
また、文書にして、それを渡した。
人権擁護局は対応をしてくれている。
教会は招く聖句とは裏腹に拒絶する。

同じようなことは悪霊追い出しを行っている教会に多くある。
悪霊につかれていないのに、つかれていると言われる。
言われるだけではなく、何時間も強制的に追い出しが始まる。
これは精神的虐待である。
教会にとって不都合なだけで、悪霊つきと言われる。
多くの傷ついた人から相談があった。
教会は過ちを犯しながら、常に自分たちを正当化する。
正しいと思うことと正しいことは違う。

by maranatha | 2017-01-12 22:53 | 虐待

自死について


2017年5月27日、カイロスの会でセミナーの講師を務めることになった。テーマは「自死について」である。以前、「自殺は罪ですか」と題して、ブログに記事を掲載した。これは、自死を罪とみなす今までの見解を覆す内容で、大きな反響があった。
カルト化教会の問題を扱うようになって、自死をよく聞くようになった。大きなストレスや深い罪悪感を植え付けられていることが背景にある。
今回のセミナーでは、カルト化教会における自死の原因と予防について詳しく語る予定である。
参考までに、「自殺は罪ですか」のブログの記事を掲載した。


自殺は罪ですか


 自殺は罪であるという教えに多くの人が苦しんでいる。本当に罪だろうか。罪だと言う根拠にモーセの十戒が引用されるが、これは自殺を罪とする根拠にはならない。これは「殺してはならない。」(出エジプト20:13)であって、自殺してはならないではない。殺してはならないと命じる神が、イスラエルの民を滅ぼそうとする民を滅ぼせと命じられることもある。
こういうわけで、何が何でも殺してはならないわけではない。これはイスラエル共同体の中で、殺しがあってはならないとの戒めで、これを破る人は死罪になる。死刑を実行する人は罪に定められない。自殺が罪と明確に書いてある箇所は聖書の中にない。
これはキリスト教の歴史の中で罪とされてきたもので、これは改めなければならないものである。
自殺してはならないを、キリスト教の教えとして広く伝えることになったのは、三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』である。ガラシャ夫人は自殺は罪なので、家臣に自分を殺させている。これを美談にしている。死を選択しなければならない状況で、自殺できないので他人に自分を殺させる。もし自殺が罪なら、殺させることも罪である。
何事も置かれた状況によるのであって、一律に自殺を罪とする考え方は誤っている。
法律は自殺を罪としていない。聖書の中でも自殺を罪としていない。自殺を罪とするのは、習慣的な考え方である。この習慣が自殺した人の遺族を苦しめる原因になっている。作られた罪意識が、人を苦しめるなら、私たちはそれを変えていかなければならない。鬱の回復期の自殺を罪と見做すのは酷である。自死を選択するはどに追い詰められた状況、原因にも目を向けるべきだ。よって、私は自殺を罪とするキリスト教的な教えを聖書の教えと違うものと見做している。


●講師 村上 密 牧師

●日時 2017年5月27日(土) 13:30~16:00

●場所 沖縄船員会館 第二会議室(那覇市前島3-25-50 TEL 098-868-2775)

 ※お車でお越しの方は、とまりんの駐車場をご利用ください。

●参加料 1000円

●お問合せ newlife0102@hotmail.com 090-9782-5892(新垣)
by maranatha | 2017-01-12 17:41 | 自死

弟子か友か

「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネ15:14、15)

私は今までずいぶん弟子訓練を批判してきた。確かに聖書には「弟子」という用語が出てくる。しかし、その弟子は誰かの弟子ではない。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(15:8)と書いてあるように、イエスの弟子である。

イエスはこの弟子を「わたしの友」(15:14)と呼ばれる。イエスと弟子の関係は主従関係ではない。「なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(15:15)友情関係には秘密がない。大切なことを共有する親密な関係である。共有するものは真理である。よって、「私にだけ神が秘密を語られた」と言うような人物は問題である。なぜならイエスご自身が「父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせた」以外のことを語ろうとしているからである。

カルト化教会の中で、牧師が信徒をよく「私の弟子」と呼んだりする。「煮て食おうが、焼いて食おうが」と生殺与奪の権を持っているかのごとき発言は、全く聖書に反する発言である。もし、牧師がイエスの友であるならば、信徒を支配しない。イエスは私たちと支配関係ではなく、愛の関係を結ぼうとしておられる。それを「友」と言う用語で表現しておられる。

by maranatha | 2017-01-10 23:57 | 聖書
宗教問題