人気ブログランキング |
ブログトップ

村上 密 Blog

<   2017年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

教会規則を公開せよ

私の所属している教会は、教会規則を信徒に渡している。この規則に基づいて教会運営をすると言う意思表示である。このようなことをする教会は少ない。それは、信徒が教会規則を悪用するからと言う理由である。また、軽々しく扱わないようにとの理由もある。これは信徒を信頼していない証拠である。国は大切な憲法を公にしないでおくだろうか。国民が軽々しく扱わないようにと隠すだろうか。どんな国民であろうと、憲法を読むことができる。教会規則を公開すれば、牧師は緊張感を持って教会運営に臨むことになる。もし、これに違反した場合は、牧師の監督責任を問われるからである。もし、教会規則の変更が必要になってきた場合は、役員会で規則変更議案を出席役員の3分の2で決議し、それを教会総会において提案し、出席者の3分の2の賛成があれば規則変更ができる。このような規則変更の仕方も教会規則に書いてある。何事も牧師任せではなく、信徒が自ら教会運営にかかわる気概を持ってほしいものである。教会運営は、牧師の専売特許ではない。信徒の全員が自分の所属する教会の運営者である。ただ、運営の責任者が牧師と言うだけである。もちろん、信徒も運営に責任がある。教会総会は信徒がその責任を果たす重要な機会である。牧師は信徒の発言を促し、議案の周知徹底を図り、より良い教会運営を心がけなければならない。
by maranatha | 2017-02-28 12:08 | 代理人

解釈ではなくご都合主義


弟子訓練を極端に強調するカルト化教会では、文字通りに聖書を解釈する傾向にある。以下の聖句で家庭破壊が起きる。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:26、27)また、信徒は以下の聖句で個人財産を失ない、貪欲な牧師は資産を増やすことがある。「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:33)しかし、以下の聖句を文字通りにとる教会はひとつもない。「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」(マタイ5:29、30)これは聖書解釈を都合よく利用する事例である。

新改訳聖書第三版を引用

by maranatha | 2017-02-28 11:23 | 聖句の誤用

ある対話

Aさん 教会の牧師はどこの神学校出身か言わない。
Bさん 私のところはあまり知られていない。
Cさん 私のところは教会の中にある塾みたいなところ。
Dさん いつから、こんなになったんだろう。
Eさん 教会成長を強調し始めてからだよ。
Fさん 弟子訓練が始まってからとも聞くね。
Gさん そういえば、2つとも関係しているね。
Fさん 教会成長するためには弟子訓練と言われるね。
Eさん そのために牧師が教会の中に塾を作ったんだ。
Cさん 私もそんなことを聞いた。
Bさん 神学校が知られていないのはなぜ?
Eさん 1980年代からいろいろ出来たって聞くよ。
Fさん 戦後に次ぐ第2次ブームとも言われているよ。
Dさん へ~、知らなかった。
Eさん 教育は少ない教師で取り組むには無理がある。
Fさん 組織神学、実践神学、聖書神学、歴史神学。
Eさん 解釈学、牧会学、聖書地理。
Gさん まだあるかな。
Aさん よく、カウンセリングて言葉を聞くけど。
Eさん 牧会学の中に含まれるみたいだよ。
Fさん 牧会カウンセリングだね。
Eさん 1980年代に心理学が盛んになったんだよ。
Fさん インナーヒーリングには気をつけなきゃね。
Eさん プライバシーが守られていないって聞くよ。
Fさん 取り入れた牧師に問題が出てきたからね。
Eさん 社会心理学の発達で心理操作が広まったね。
Dさん 牧師は学ぶ分野が多いんだね。
Bさん 教師が少ない神学校はカバーしきれないな。
Cさん 教会の塾形式ではもっとだね
Aさん 所属教会の牧師は自覚しているかな。
Fさん 牧師のプロフィールは公開してほしいな。
Eさん そうだね。
Cさん 牧師のレベルアップのために研修が必要だね。
Bさん 変なもの学んでほしくない。
Aさん 何が良いか、何が悪いか、わかるのかな。
Eさん 良いものと、良いと思うものは違うからね。
Bさん 飛びつく傾向の牧師には気をつけないとね。
Cさん 吟味が大切だね。
Eさん 信徒がしっかり見識を持つべきだね。
Fさん 特別視するのは良くないね。
Bさん 牧師は神の代理人って聞いたことあるな。
Eさん 特別扱いするような表現だね。
Fさん 権威主義的な傾向が、牧師の暴走を招くんだよ。
Aさん 虐待って言葉よく聞くね。
Fさん 身体的な虐待だけでなく、精神的虐待もあるよ。
Eさん 性的虐待もあるね。
Aさん マインドコントロールて聞くけど。
Fさん 支配する道具だね。気をつけないとね。
Bさん いろいろ話しを聞いて良かった。
Eさん また、こんな機会を持とう。

by maranatha | 2017-02-28 10:37 | 牧師

聖書のことばの悪用

カルト化教会では聖書のことばを自分勝手に利用する。「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。」(ルカ14:26)牧師は、このことばを、信徒を献身的に奉仕させるために、文字通りに利用する。しかし、牧師は、私腹を肥やして、財産を築いているため、「あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」(ルカ14:33)を語らない。同じ章の直ぐ後に書いてあることばなのに、気づく信徒もいない。牧師は、自分勝手に利用している聖書のことばを、文字通り取り組んでいるわけではない。自分を例外扱いしているだけである。

*口語訳聖書から引用

by maranatha | 2017-02-26 21:03 | 聖句の誤用

「霊の戦い」過去・現在・未來

「霊の戦い」の過去
「霊の戦い」は、1990年代に熱狂的に日本中に拡散した。しかし、2015年春の寺社連続油被害事件の報道を機に、狂信的な行いは影を潜めた。

「霊の戦い」の現在
「霊の戦い」に取り組んでいる教会が現在もある。教会の中での「霊の戦い」から、「地域の霊との戦い」へ移行して、寺社連続油被害事件報道後、再び教会の中での「霊の戦い」に戻ってきた。教会は、神側にいると思い込んでいるので、反省もなく今日に至っている。

「霊の戦い」の未来
「霊の戦い」の思想は神とサタンの戦いである。この世はサタンの支配下にあるとみなし、この世の法律さえも見下している。極端な主観主義で、戦闘的である。誤りを正そうとする人の意見を感情的に受け付けない。自分たちこそ、霊的選民であると思い込んでいる。今後も「霊の戦い」に取り組む教会の中には自死者が出る。それは霊的バトルストレスが原因である。何事も不都合なことは、悪霊か人の罪のせいにして悪霊追い出しをすることは人権の軽視であり、虐待である。インスピレーションと直接啓示を混同し、神から啓示を受けたと言って、今後も反社会的な行動を起こす可能性がある。

by maranatha | 2017-02-25 00:00 | 霊の戦い

塚本幼稚園が「ヘイト文書」

学校法人森友学園の「塚本幼稚園」が「ヘイト文書」を配布したとしてニュースで取り上げられた。森友学園は、国有地を破格で払い受け、ニュースで騒がれている。同法人は神道系の最初の小学校を開校したとホームページに書いている。このように騒がれては、今後の学校法人運営に支障が出るのではないか。

いつか来た道
http://maranatha.exblog.jp/25317059/

テレビ朝日系(ANN)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170217-00000047-ann-soci

by maranatha | 2017-02-17 21:22 | 宗教教育

清水富美加と幸福の科学

清水富美加が幸福の科学に出家する。所属事務所は彼女の突然の出家宣言に戸惑っている。事務所は、契約違反で争うこともできるが、長時間労働で訴えられることも考えられる。出家ですべてを御破算にできるわけではない。幸福の科学側は彼女に弁護士をつけている。弁護士は突然のキャンセルで発生する損害賠償を考慮に入れないで、出家を尊重したのだろうか。事務所と契約していればその期間は契約に拘束される。出家が契約期限前なので混乱が発生する。俗世から出家できるどころか、裁判に関わらざるを得なくなるだろう。
by maranatha | 2017-02-16 21:45 | カルト

ふさわしいとふさわしいと思うの違い

ある教会で代表役員が役員会で書記と会計を決めた。人事の決定権は代表役員である牧師にある。ところが、ある役員が、人事を不服として、自分のやりたい役を、代表役員を外して、他の役員に働きかけた。次の役員会の席で、その結果を伝え、自分の望む役を申し出た。これは役員会決定を自分の都合で覆す行為であり利益相反事項である。これに対して、次の役員会で越権行為として注意を与えた。ところが、間もなく、役員会に諮ることなく、また、ほかの越権行為を起こした。役員として不適格とみなし、自主的な辞任を提出するように勧告した。自分は総会で選ばれたので、役員を辞すことはしない。だれもこのようなことをすると思って役員に選んでいるわけではない。それで、役員会出席停止による謹慎期間を与えた。謹慎期間を終えて、役員会への出席を許した。次の総会では、役員になるにはふさわしくないとして、被選挙人名簿から外した。役員選挙は、ふさわしい人を選ぶわけであるが、ふさわしいと思う人を選ぶことがある。ふさわしいとふさわしいと思うは大きな違いである。ふさわしい人は経過とともに選んでよかったと納得する。しかし、ふさわしいと思って選びそうではなかった人は、やがて失望を周囲に与える。始末に負えないのは、選ばれたために、ふさわしくないのに自分がふさわしいと思い込む人である。選ばれたからではなく、役員としての見識と実を結んでこそふさわしいかどうかが分かるのである。この記事は、役員の問題をどう扱うかを学ぶためであり、いつ、どこで、だれがを省いた。何をどうしたを取り上げた。いろいろな教会の問題や相談をたくさん受けてきた。大抵は教会規則に基づいて、規則になければ慣習法で取り扱うことになる。もし、慣習法が間違っていれば、役員会で審議するか細則を作って、問題を扱うことになる。規則には、責任役員の職務権限がある。責任役員は代表役員たる牧師を補佐する立場であって、役員は役に対する人事権はない。自分で役を決めることはできない。牧師がふさわしいと判断した人を任命する。
by maranatha | 2017-02-10 18:05 | 教会

いつか来た道

財務省が森友学園に国有地を破格で払い下げた。森友学園は、日本で最初の神道系の小学校を開校した。名前は瑞穂の國記念小學院で、名誉校長は安倍昭恵(首相夫人)である。校長は籠池泰典、日本会議のメンバーである。教育理念の中に「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」がある。閣僚の大半が日本会議のメンバーである。愛国精神を高揚させる時代を私たちは迎えている。

朝日新聞デジタル(2月9日)
http://www.asahi.com/articles/ASK264H4YK26PPTB00J.html

瑞穂の國記念小學院の教育理念
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/philosophy/

by maranatha | 2017-02-09 22:40 | 宗教教育

神のわざ

「すると、彼らはイエスに言った。『私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。』イエスは答えて言われた。『あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。』(ヨハネ6:28、29)神のわざが2回書いてある。同じではない。前者は複数であり、後者は単数である。前者は、わざを行いととっているが、後者は信じることである。質問者は、永遠の命を得るために、たくさんの善行を積むことを考えていたのかもしれない。

「『あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行いなさい。』」(ヨハネ8:39)「わたしは真理を話してるために、あなたがたはわたしを信じません。あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。」(ヨハネ8:45、46)アブラハムのわざとはなんだろうか。それは、創世記に書いてある。「『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』彼は信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(15:5、6)アブラハムのわざとは神のことばを信じることである。

「イエスは言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。』」(ヨハネ8:58)ヨハネは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・ことばは人となって私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:1、14)とイエス・キリストについて証言している。これはことばが人となる前に存在しておられたことを証言しているところである。バプテスマのヨハネもまた「私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私よりも先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。」(ヨハネ1:30)と言って、イエスの先在性について語っている。「わたしはいるのです」(8:58)が新共同訳では「わたしはある」と書いてある。それは、モーセの問いに「わたしはある」(出エジプト3:14)と応えられた神である。

私たちは、アブラハムに語りかけ、モーセに語りかけられた方が受肉以前のイエス・キリストであることを以上から学んだ。このお方がわたしを信じるように招いておられる。ヨハネの福音書が書かれた目的は「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)イエスを信じるように書かれてある。いのちを永遠のいのちを得る方法は、人のわざではなく、神が遣わされたひとり子を信じることである。私たちは神のわざをすることができる。それは奇跡を起こすことではない。イエスをキリスト(救い主)と信じることである。

by maranatha | 2017-02-07 20:55 | 聖書
宗教問題