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村上 密 Blog

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後の雨運動と新使徒運動の見直しを

「後の雨運動」を検索すると「後の雨運動とは何?」(https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-latter-rain-movement.html)がヒットする。その中で「神のアッセンブリー教会」「アッセンブリー教団」と言う名称がでてくるが、これは米国のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドのことである。日本には日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団がある。教理的にはほとんど同じである。アメリカで警告されているこの運動を、日本では取り入れている教会がある。『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント』(ウィリアム・ウッド/ハーベストタイム・ミニストリーズ)が出版された。これは新使徒運動に警鐘を鳴らす本であるが後の雨運動も同じ流れであることから、これをテキストにして学びの時を持ち、自分たちの通り組みを見直すことを願うものである。後の雨運動は反ディスペンセーション主義で無千年王国主義だが、日本では後の雨運動と前千年王国説(千年期前再臨説)をともに取り入れている教会もある。そろそろ良かれと思うことを止めて良いことに取り組まなければならない。それは聖書から外れないことである。



by maranatha | 2018-11-28 15:29 | 後の雨運動

権力は腐敗する

ゴーンゴーンと鳴り響くかな鐘の音

鐘は金にかけている。毎日毎日ゴーンのニュースでもちきりである。権力が集中しすぎてだれも止める人がいなくなる。権力者が暴走していくのは経済界だけではなく、宗教界でもよくある話だ。このニュースは他人事ではない。権力は必ず腐敗する。

by maranatha | 2018-11-21 22:53

看板を下ろせ

『本のひろば 11 2018』を読んだ。『長老制と何か』(澤正幸/一麦出版社)の批評と紹介を深谷松男氏が書いている。「カルバンが、長老につき、み言葉に仕える牧師すなわち宣教長老と『納める務め』に当たる治会長老との二種類の長老を考えていたこと、そしてその両者の関係をどのように考えていたかを論じる箇所(五〇ー五四)は熟読に値する。重要なことは、二種類の長老の務めは相携えて一つの働きをする共同関係にあることである。すなわち『牧師が説教し、長老が牧師とともに訓戒することを通して、教会はみことばに聴きかつ服従し、また反逆するものが諫められ押し止められることによって、みことばの支配が貫かれていく』」と紹介している。

ある長老制の教会に問題が起きた。私は求道者から相談を受けて代理人となり、3年間交渉を続けているが、教会はまともに話し合おうともしない。その教会には「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」の看板がある。求道者の訴えを取り上げないで、求道者の病名を理由に対応を切ってきた。長老の中には耳を傾ける人もいた。しかし、小会で対応を切る結論を下してからは関わろうとしないでいる。この求道者に対して、優しく対応して手のひらを反すような対応がどんなに心にダメージを与えるかわかっているはずである。看板の聖句が無視されている。私たちは怒っている。長老たちは逃げ続けている。看板を下ろせと言いたい。

by maranatha | 2018-11-21 00:13 | 教会

15分間

沖縄の空は360度見渡すことができる。今日の天気は晴れ。上空には全く雲のない空間と雲のある空間がある。その境をしばらく眺めていた。すると、雲が雲のない空間に向かって進んでいるのがわかった。この雲は消えるぞ、と見ていると、徐々に消えていった。雲が生まれる場所を見つけることはできなかったが、消えていく空間を見つけることができた。沖縄に来ると毎回空を見る。東西南北を太陽の位置から判断して、雲がどちらに流れているか。雲は何層か。上の雲はどの方向に流れているか。下の雲はどの方向に流れているか。じーっと空を見上げる。これは実によい気分転換になる。雲以外のことは考えないで15分雲を見続ける。何の得になる、と思っている人には何の参考にもならないだろうが、観察から得られるものは確かにある。観察が習慣になると、他にも応用できる。人の話を15分口を挟まないで聞けば、その人が以前にもましてわかるようになるだろう。アリが15分でどこまで歩いていくかがわかる。いろいろな発見があるはずだ。それはきっと人生に役立つことになる。3分間待つカップラーメンの生活から、何かを15分観察する生き方に変えてみよう。


by maranatha | 2018-11-20 23:25 | 自然

嘘の宣誓

今日、ある集まりがあった。そこで集まった人たちと沖縄で過去にあった裁判の話になった。裁判の中では「良心に誓って嘘偽りは申しません。」と宣誓をするが、被告の牧師はその誓いをして、裁判では平気で嘘をついていた。良心がないのかと私たちはその時に思った。もし、「神に誓って嘘偽りは申しません。」と誓っても、平気で嘘を言ったに違いない。なぜなら、天から裁判を傍聴しておられる神の前で嘘を言っていたかである。嘘は弱者の武器と言われる。教会では絶大な権威を振りかざしていたが、実は気の弱い人物だったことになる。
by maranatha | 2018-11-20 23:01 | 裁判

見て見ぬふり

教会員が牧師の不法行為を見て見ぬふりをすると、さらに牧師の不法行為を誘発することになる。牧師が教会員の不法行為を見て見ぬふりをすると、さらに教会員の不法行為を誘発することになる。聖書の「互いに戒め」(コロサイ3:16)とある。もちろん「互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:11)もある。どちらか一方を省いてもう一方を強調したらバランスが悪くなる。ましてや、一方を全く語らないなら、教えを取り除くことになる。

見て見ぬふりが通る組織はどんな組織だろうか。それは正義より間関係を上に置いている組織である。そこでは、力関係、経済力、血筋が通る。このようなことを最も嫌われたイエスを信じる人々が見て見ぬふりをする。そうなると人間関係が冷たくなり、不法がはびこるようになる。組織の劣化が急速に進むことになる。

by maranatha | 2018-11-19 16:13 | 教会

赦しと裁き

「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度の七十倍するまでと言います。』」(マタイ18:21、22)この聖句は赦しを教えるときによく使われる。そして、文章の前後関係をよく読まないために、間違って解釈される。聖書は赦しを無条件に教えているのではなく、悔い改めたものを赦すように教えている。

ペテロはイエスに対して、前段の15節から20節までのことを意識して質問をしている。イエスは「もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら・・・」(15)ペテロは「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合は・・・」(21)15節から17節は兄弟が罪を犯した場合、どのように取り扱うかのプロセスが書いてある。「もし、聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」「得た」(15)は「解く」(赦す)(18)「それでもなお、言うことを聞き入れようとしない教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。」(17)交わらないようにしなさいという意味である。これは18節のつなぐ(禁じる)である。

イエスは23節から譬えを話された。その中には返せない負債を持ったしもべが主人に借金を免除されている。ところが、この赦されたしもべが、彼から借金した仲間が支払いを猶予してほしいと願っているにもかかわらず、獄に閉じ込めたので、しもべ仲間が主人に訴えた。主人は怒って、借金を免除してもらった人を獄吏に引き渡した。ここでは赦しがあるが、裁きが最後に行われている。大切なのは悔い改めている人への憐みと赦しである。もちろん、聖書は現実に生きている人に向かっ借金全部を免除してあげなさいと教えているのではない。猶予を申し立てている人へ、猶予を与えること、借金の一部を免除してあげること、全部免除してあげることは貸し手の自由である。ここで、全部免除されているのは、払いきれない私たちの借金(罪)を神がすべて赦してくださったことを教えるために語られているのである。その赦しを受けているので、私たちが悔い改めた人に対して寛容に対応するように教えられているわけである。

加害者が悔い改めないならば、赦す必要はない。加害者を罪のゆえに裁いてよい。しかし、加害者が罪を悔い改めたならば、今度は被害者がどのように対応するかが問題になってくる。赦さないならば、悔い改めた人を赦すように教えている聖書に反するわけである。赦したら、聖書の教えに従ったことになる。問題は罪の悔い改めを本当か偽装かを見分けることである。本当の悔い改めは、借金を返しますと言った言葉は心からである。この言葉が相手の心に届いたからあかわいそうに思えて赦しが引き出されるのである。経済的な負債を免除してもらうために悔い改めがあるのではない。悔いて返す意思があるから、赦しが引き出されるのである

by maranatha | 2018-11-19 15:27 | 聖書

犬笛

これは犬笛である。耳のある人は聞き取ることができる。

以前、キリスト教のある団体の重鎮と話した。
長く、団体の代表役員を担われれた方である。

私:先生、団体も随分変わりましたね。
重鎮:そう思われますか。
私:放っておいてもいいんですか。らしさがないですよ。
重鎮:いろいろ取り入れるからね。
私:見極めてないですよ。
重鎮:良いと良さそうだは違うね。
私:歯止めが利かなくなりますよ。

キリスト教のある団体の重鎮たち(A&B)との話である。
A:あれはどうなりました。
私:決着がつきました。
A:ほ~、それは良かった。

B:あれはどうなったかね。
私:決着がつきました。
B:それは良かった。心配していたよ。

by maranatha | 2018-11-16 13:27 | 教会

『犬はどこだ』を読む

『犬はどこだ』(米澤穂信/創元推理文庫)を買った。本の帯に「ミステリーランキング3年連続第1位」が書いてあるからではない。動物が好きなので『犬はどこだ』に目が向いたからである。主人公は調査事務所を開業し、犬探しを専門にするはずだったが、舞い込んできた仕事は、犬ではなかった。読み進めているうちに、インターネット上の知識をいろいろ得ることができた。その中の一つに「今回の教訓:構ってクンは放置すると電波系粘着に進化することもある」(P229)にはうなずけた。電波系粘着は文中に「思い込みが激しく、我に大義ありと思うと言動が過激になります」とあった。なるほど。
by maranatha | 2018-11-15 19:15 | 心理

神の家族

創立71周年記念礼拝に外国人を含めて120名以上の方々が出席した。礼拝後、幼児祝福式があり、10数名の就学前の子供たちが祝福の祈りを受けた。祝会は今回は外国人グループが担当してくれた。珍しい食事を皆が堪能した。後片付けは日本人グループが担当した。礼拝も祝会も通訳付きで行った。子供たちは言語が違っても互いに自分の言語で話して遊んでいた。多国籍の神の家族が育っている。
by maranatha | 2018-11-11 18:28 | 教会
宗教問題