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村上 密 Blog

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鳥の鳴き声

小学生、中学生の時、学校への通り道に楠の大木の並木があった。毎年、同じ季節の同じ楠にフクロウのひなを見ることができた。一列に並んでいるさまは何ともかわいらしかった。鳴き声はホー、ホーである。家の近くに沢水を貯めた堤があった。その近くに椎の木の大木があった。この木にはときどきアオバトがやってくる。山鳩は茶色だが、アオバトは緑色である。鳴き声はポー、ポーである。昨日、滞在先でカッコーの鳴き声を聞いた。午前10時から10時30分までガッコ―(学校)ガッコ―(学校)とは鳴かなかった。もう登校は終わっていたからだ。澄んだ声で、カッコー、カッコーと鳴いた。鳴き声が名前である。故郷では都市化が進み、フクロウとアオバトを見ることはなくなった。カッコーの鳴き声を故郷で聞いたことはないが、カッコーの鳴き声を聞いて、故郷で聞いた様々な鳥の鳴き声を思い出した。
by maranatha | 2019-06-04 16:27 | 故郷

金持ちも救われる

イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国にはいることは、何とむずかしいことでしょう。金持ちが神の国にはいるより、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」これを聞いた人々が言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」(マタイ18:24~27)

イエスは金持ちが救われることのむずかしさを語られた。しかし、イエスは「人にはできないことが、神にはできるのです。」と断言された。救いは神のわざである。19章には、人々から見て救われるのがむずかしいとおもわれるザアカイが救われている。だから、金持ちも救われる。ただし、救いは人のわざではなく、神のわざである。もし、金持ちが18章からの説教を聞いて帰ったら失望して帰るかもしれない。しかし、19章との関連を説教で聞いたら、希望を持って帰るかもしれない。ルカが伝えたいのはイエスの言葉である。「人にはできないことが、神にはできるのです。」この二人の金持ちの話の合間に、物乞いをして過ごしている目の見えない人が登場する。イエスは彼の目をいやされた。イエスが目をいやすことのできる方だ、と信じたからである。そして、イエスがダビデの子と呼んで、イエスがメシアであることを信じたからである。イエスは彼をいやし救われた。イエスは神である、とルカは語りかけている。神はどんな人をも救うことのできる方である。救いは神のわざである。

by maranatha | 2019-06-03 11:34 | 救い

伝道に成功も失敗もない。なぜなら、神が人を救われるのであって、私たちが救うのではないからである。私たちの務めは、福音を伝え、イエスがキリストであることを証していくことである。救いは神のわざである。誰かが、何人救った、と言う言葉を聞くと、その人が救ったのではないのに、と思う。牧師が、一生懸命に伝道して、何年も人が救われないため、燃え尽き症候群になってしまうケースがある。頑張ったのに、と言う言葉には、成果が表れないことへの苛立ちが含まれている。人の頑張りで人が救われるのではない、人を救われるのは神であるなら、時を待ち望む信仰が必要である。神は人を救いたいと願っておられる。だから、必ず救われる人が起こされる、と言う信仰である。
by maranatha | 2019-06-03 11:07 | 救い

犬に歓迎される

犬続きで申し訳ない。昨日、知人の家に宿泊した。そこの愛犬が私を歓迎してくれた。手を嗅ぎ、喜んで私の足に体を何度も何度もこすりつけてきた。知人は、こんな光景を見たことない、と語っていた。私が椅子に座っている間は、足に体をくっつけて寝ころんでいた。最近、猫にも同じことをされた。見知らぬ猫に呼びかけたら走ってきて、私のズボンに体をこすりつけ、足元に寝ころんで、にゃ~と猫論じた。ちなみに私は猫や犬にも日本語で話しかけている。猫と犬の共通点は私の右足に体を何度も何度もこすりつけたことだ。

先ほどまで30分間ほど、近くでカッコーが鳴いていた。名も知らぬ鳥たちがよく近く鳴いている。

by maranatha | 2019-06-03 10:46 | 動物
宗教問題