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村上 密 Blog

ふさわしいとふさわしいと思うの違い

ある教会で代表役員が役員会で書記と会計を決めた。人事の決定権は代表役員である牧師にある。ところが、ある役員が、人事を不服として、自分のやりたい役を、代表役員を外して、他の役員に働きかけた。次の役員会の席で、その結果を伝え、自分の望む役を申し出た。これは役員会決定を自分の都合で覆す行為であり利益相反事項である。これに対して、次の役員会で越権行為として注意を与えた。ところが、間もなく、役員会に諮ることなく、また、ほかの越権行為を起こした。役員として不適格とみなし、自主的な辞任を提出するように勧告した。自分は総会で選ばれたので、役員を辞すことはしない。だれもこのようなことをすると思って役員に選んでいるわけではない。それで、役員会出席停止による謹慎期間を与えた。謹慎期間を終えて、役員会への出席を許した。次の総会では、役員になるにはふさわしくないとして、被選挙人名簿から外した。役員選挙は、ふさわしい人を選ぶわけであるが、ふさわしいと思う人を選ぶことがある。ふさわしいとふさわしいと思うは大きな違いである。ふさわしい人は経過とともに選んでよかったと納得する。しかし、ふさわしいと思って選びそうではなかった人は、やがて失望を周囲に与える。始末に負えないのは、選ばれたために、ふさわしくないのに自分がふさわしいと思い込む人である。選ばれたからではなく、役員としての見識と実を結んでこそふさわしいかどうかが分かるのである。この記事は、役員の問題をどう扱うかを学ぶためであり、いつ、どこで、だれがを省いた。何をどうしたを取り上げた。いろいろな教会の問題や相談をたくさん受けてきた。大抵は教会規則に基づいて、規則になければ慣習法で取り扱うことになる。もし、慣習法が間違っていれば、役員会で審議するか細則を作って、問題を扱うことになる。規則には、責任役員の職務権限がある。責任役員は代表役員たる牧師を補佐する立場であって、役員は役に対する人事権はない。自分で役を決めることはできない。牧師がふさわしいと判断した人を任命する。
# by maranatha | 2017-02-10 18:05 | 教会

いつか来た道

財務省が森友学園に国有地を破格で払い下げた。森友学園は、日本で最初の神道系の小学校を開校した。名前は瑞穂の國記念小學院で、名誉校長は安倍昭恵(首相夫人)である。校長は籠池泰典、日本会議のメンバーである。教育理念の中に「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」がある。閣僚の大半が日本会議のメンバーである。愛国精神を高揚させる時代を私たちは迎えている。

朝日新聞デジタル(2月9日)
http://www.asahi.com/articles/ASK264H4YK26PPTB00J.html

瑞穂の國記念小學院の教育理念
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/philosophy/

# by maranatha | 2017-02-09 22:40 | 宗教教育

神のわざ

「すると、彼らはイエスに言った。『私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。』イエスは答えて言われた。『あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。』(ヨハネ6:28、29)神のわざが2回書いてある。同じではない。前者は複数であり、後者は単数である。前者は、わざを行いととっているが、後者は信じることである。質問者は、永遠の命を得るために、たくさんの善行を積むことを考えていたのかもしれない。

「『あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行いなさい。』」(ヨハネ8:39)「わたしは真理を話してるために、あなたがたはわたしを信じません。あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。」(ヨハネ8:45、46)アブラハムのわざとはなんだろうか。それは、創世記に書いてある。「『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』彼は信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(15:5、6)アブラハムのわざとは神のことばを信じることである。

「イエスは言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。』」(ヨハネ8:58)ヨハネは「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。・・・ことばは人となって私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:1、14)とイエス・キリストについて証言している。これはことばが人となる前に存在しておられたことを証言しているところである。バプテスマのヨハネもまた「私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私よりも先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。」(ヨハネ1:30)と言って、イエスの先在性について語っている。「わたしはいるのです」(8:58)が新共同訳では「わたしはある」と書いてある。それは、モーセの問いに「わたしはある」(出エジプト3:14)と応えられた神である。

私たちは、アブラハムに語りかけ、モーセに語りかけられた方が受肉以前のイエス・キリストであることを以上から学んだ。このお方がわたしを信じるように招いておられる。ヨハネの福音書が書かれた目的は「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)イエスを信じるように書かれてある。いのちを永遠のいのちを得る方法は、人のわざではなく、神が遣わされたひとり子を信じることである。私たちは神のわざをすることができる。それは奇跡を起こすことではない。イエスをキリスト(救い主)と信じることである。

# by maranatha | 2017-02-07 20:55 | 聖書

司祭による性的虐待

2月6日、CNNによると、オーストラリア王立委員会は、国内におけるカトリックの司祭による児童への性的虐待の被害状況を明らかにした。これによって、オーストラリアにおけるカトリックの信用は失墜する。今後、司祭の処分と被害者への償いをしなければならない。カトリック信者の減少も予想される。また、被害者を出した教会や学校や施設からは、信者や子どもたちが他に移ることにもなるだろう。

詳しくは
http://www.cnn.co.jp/world/35096138.html

# by maranatha | 2017-02-07 11:50 | 虐待

産む自由

2015年10月上旬、中国が「一人っ子政策」を廃止した。
2017年1月上旬、ベトナムが「二人っ子政策」を廃止した。
どちらも予想を上回る高齢化対策である。
日本は人口抑制政策はなかったが、
物理的制限(普及した家の面積)があった。
そして高齢化は進んだ。
子どもを産むように国家が進めると、
その先に戦争の想定があるように思える。
人の誕生を政策や住環境や国家に左右されたくない。

# by maranatha | 2017-02-03 20:46 | 政治
宗教問題

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