人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

村上 密 Blog

ヒゼキヤ王の印章発見

トピック

ヒゼキヤ王の印章が発見されたとロイターが報じている。

http://jp.reuters.com/article/king-idJPKBN0TM0W420151203

# by maranatha | 2015-12-10 16:10

祈り

 マリアの賛歌にはアンナの言葉が引用されていると書いた。不妊の女であったアンナは、祈りの応えとしてサムエルを授かり、応えてくださった主にサムエルをささげた。祈りは頼りないように思われるものであるが、全身全霊の祈りには、その人の力のなさとは関係なく、祈りを聞きたもう恵み深い神の働きによって、願い以上のことがもたらされる。私たちは、アンナの祈りが、偉大な預言者を生んだことに驚きを禁じ得ない。彼女は普通の人である。ただ違ったのは、不妊であることを嘆き続ける人ではなく、それを長く忍耐し、恵み深い神に訴える人となった。私たちの生涯には、罪の深さと無力さを教えられることが横たわっている。普通はそれを意識しないように生活している。しかし、それは終わることがない。そこには神のご計画が働いている。神に立ち返り、神と共に歩む人になるようにである。

 ヨシュアが亡くなった後、カナンの地に住みついたイスラエルは偶像礼拝に陥り、信仰の後退を見るに至った。イスラエルは度々外敵から侵略された。神はその度に士師を起こされたが、その士師の死亡と危機は繰り返されていった。このような中で、最後の士師とも言えるサムエルが登場する。彼は、部族社会から統一王国への移行を担った預言者である。そのことを示唆する用語が「全イスラエル」である。ヨシュア記によく出るこの言葉が、士師記では1回(20:34)である。しかし、サムエル記で、再びこの言葉は多く出てくるようになる。特に重要なのは「サムエルのことばは全イスラエルに行き渡った」1サムエル4:1)である。統一王国ができる前に、神のことばがサムエルを通して、全イスラエルに行き渡った。


# by maranatha | 2015-12-10 08:24

マリアの賛歌

 マリアをただ信心深い、神に選ばれた乙女として受け留めることから、どのように信心深い人であったかと理解するためには、マリアの賛歌を読んでみる必要がある。ルカの福音書1章の46節は1サムエル2章1節、48節aは1サムエル1章11節、48節bは創世記30章13節、49節は申命記10章29節、50節は詩編103編17節、51節は詩編89編10節、52節aは1サムエル2章10節、52節bはヨブ5章11節、53節は詩編107編9節、54節aは詩編98編3節、54節bはイザヤ41章8節、55節はミカ7章22節の引用である。ヘブライ語聖書は三部の構成で、律法、預言者、詩編となっている。引用は、律法から2カ所、預言者から5カ所、詩編から5カ所で全部で12カ所である。マリアは聖書全体を読んでいたことになる。マリアはサムエルの母ハンナと詩編の引用を特にしている。マリアは、そらで覚えていたからこそ、受胎告知を受けたとき、自由に旧約の言葉を紡いで、流れるように自分の言葉にしている。このことから、私たちは、マリアがただ信心深い、神に選ばれた乙女から、聖書をよく知っていた乙女であるとの見方に変わっていくのである。情緒的な見方から私たちが解放される時、知性の重要性に気付かされ、聖書に親しむ人になりたいと思うようになる。私たちの人生の別れ道は、聖書に親しみたいから親しむ人になることである。メリー・クリスマス。
# by maranatha | 2015-12-09 10:06

不服従

 カルトは、指導者への服従を強調している。服従について、最近興味深い本、『服従』(ミシェル・ウエルベック/大塚桃 河出書房新社)が発売されている。それを読みながら、聖書が教えている不服従を思い出した。

イエスは、議会に引き渡され、総督や王の前にも連れて行かれた(ヨハネ18章)。

イエスは弟子たちを派遣する時に次のように語られた。「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すうなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」(マタイ10:16~20)

ペテロとヨハネは議会で取り調べを受けた(使徒の働き4章)。パウロも又議会で、更に総督たちや王の前に連れて行かれた(使徒の働き22章~26章)。彼らは、いずれも父の御霊の助けによって彼らの前でイエスを証ししている。

イエスとペテロ、そしてパウロは、その時の宗教的最高権威や世俗の権威に対して反論している。当時、キリスト教(そのような名前はまだない)はユダヤ教の一派と見做されていた。そのような中での反論が迫害を招くであろうことは当然予想された。しかし、彼らは真実を語らずにはおられなかった。

権威主義の牧師は、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」(ローマ13:1)を自分の権威づけのために利用するが、聖書は無条件で従うように教えているわけではない。代表的な聖書の箇所から、私たちが模範としなければならない不服従を取り上げて見た。
# by maranatha | 2015-12-05 23:26

宗教トラブル相談センターからの報告

 宗教トラブル相談センターでは、面談、電話相談、メール相談に応じています。しかし、相談者から、電話がなかなかつながらないとの指摘があります。宗教トラブル相談センターは、電話相談に応じる人が常駐していません。無料の相談ですから、村上の在宅時に限られます。私は月の半数以上は他府県への出張のために不在です。携帯電話は持っていませんが、手が空いたとき、小型パソコンでメール相談に応じています。以上をご理解の上、ご相談ください。

電話相談は075-321-4320(22時から9時までは緊急の相談のみです)
メール相談はkyoto.mur*k*mi@gm*il.com(*は全てaです)


# by maranatha | 2015-12-05 11:34
宗教問題

by maranatha