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村上 密 Blog

これが牧師? 3

M Hさん先生なさってたんですよね。モンスターペアレントに会ったことありますか?
H うーんとー、モンスターペアレントって、まああの、一時期いわれましたよね。
  あの私はね、正直言ってあんまりないですね。
M ああ、そうなんですね。〇、自己愛性パーソナリティ障害っていいますけれどね
  彼女はその典型だと思ってます。
H 自己愛、
M 自己愛性パーソナリティ障害。あの、本人に言わないで下さいね。本人は烈火のごとく怒ると思いますから。
H 自己愛?もう1回、繰返して。
M 自己愛性パーソナリティ障害。
H 自己愛、性、パーソナリティ障害。
M 先生なさっているから、多分そういう方を知ってらっしゃる。
H 全然、全然。私、初めて聞きました。
M 典型例かも知れないです。
H あ、そうなんですか。
M で、物事を微妙に微妙に変えるんです。そして歪めた自分に都合よく〇。そうやって人を貶めます。
  ですから、Hさんがもし、彼女と繋がっていると、私達が非常に困るのは、私達のところの情報が、
  彼女に伝わります。彼女はそれを自分の都合のいいように情報収集をして、今度は自分の都合のいいように、
  うまく。今、係争中です。私たち裁判して。それから彼女の向こうに私達の〇繋がっていることが
  明らかになりました。
H 彼女の向こうに、何ですか?
M 私達のこの、私たちの教会の、特に私と役員に対して。
  その方と彼女が繋がっていることが非常に困るんです。ですから、
  もし、私達にあることをKさんに是非伝えないでほしい。
  そして、Kさんの言うことをそのまま鵜呑みにすることは止めてほしい。
H うん、私はあの、どういう場合でも、ごめんね。どんな場合、何でもそうだけど。で、
  〇当事者が2人いて、で、片方の見方の言うことを聞く、でもこちらの言い分も聞く。
  常にそうやってきた、あの、つもりなんですね。
M ですから是非、それを〇、Kさん、そういうことなんですね。
  Hさんがあの場で質問なさったことは、あの、教会総会の場でなくて個別に聞いてください
H あー、まずかったんですね
M そのー、やはりその何ていうんでしょう、ある意味で部外者。
H そう部外者です。はい、はい、はい。
M 何も知らないでそのことを聞くってのは、やはりふさわしいことではないと思うんですね。
  場として。そして教会組織として、だと思うんですね。
  だから、私のすることは聞いて頂けたら良かった
H ああ、そうですか。
M そして、4つの〇なさって全部が実は、今私達が問題にして出来事なんですね。問題にしてるって。
H すみません。4つっていうのは。
M ですから、戒規の執行〇、これはですね、警察で実はその刑事訴訟、告訴も受けて警察の方でも〇。
  つまりそういうことを原告さん、まあ、告訴人さんが警察でゆってる筈です。
  〇に関しては、実はKさん関係ないんだけど、Kさんの向こうの人が〇なんです。
  それから、私、要するに何に〇というと、あのー、会計の〇牧師に支払われていると全く勘違いしている、
  〇っていうと、そんなこと全然やってない。うちらここに居る人たちは全員知っている訳です。
  で、教会員っていう名前でそのことで攻撃してきた。つまり、今ここに来ていない人ですよ。
  Kさん、そんなことに多分関係ないんですね。あの、ですから、そういうことで〇、
  全部そうなんです。全部がそれKさん繋がりなんです。
  ですけど私たちも、私達の役員会を敵対視している方が問題にしていることと重なって同じことだったので、
  私達は非常にそのことを何ていうんですか、ショックを持って受け止めました。ですから、
  その、〇と入れられた質問の内容で私達は非常に、その、ま、警戒したというのか〇。

# by maranatha | 2022-05-04 20:58 | 牧師

これが牧師? 1

これから何回かに分けて掲載する文書は、録音を反訳したものである。Mは牧師でありながら、憶測を交え、偽りの病名をつけてKさんの孤立化を図っている。Mはこのような発言を周囲に振りまいてきた。これは牧会を委ねられた人のすることではない。この文書を牧師の属する教団の理事会に郵送して、人権侵害として訴えたが、理事会はこの牧師を庇って問題を扱おうとしない。このブログ掲載は、牧会と牧師を派遣した教団の問題性を明らかにするためである。教会の健全化を願う人々に知っていただきたい。


# by maranatha | 2022-05-04 20:57 | 牧師

手当て

小学生、中学生の頃、「コロ」という名のイヌを飼っていた。色は黄色系で雑種の中型犬である。よく山歩きを一緒にした。当時、イヌをつないで飼うような時代ではなかった。村のイヌのほとんどは放し飼いであった。家に帰ってコロがいないと、大きな声で「コロー」と叫ぶと、矢のように飛んで帰ってきた。喜んで「ワン、ワン」とほえ、しっぽを力いっぱい振ってくれた。ドッグフードを与えたことはなく、エサは食事の残り物である。それでも喜んで食べた。水をあげた記憶はないので、家のそばを流れる山水かどこかのたまり水を飲んでいたのだろう。いろいろな動物を飼ったが、一番の思い出はコロである。

コロがやけどをしたときのことを思い出す。冬の寒い日だった。五右衛門風呂のかまどの中で休んでいたとき、祖母がかまどにまきをくべて火をつけた。コロは驚いてかまどから飛び出してきた。祖母は腰を抜かすほど驚いた。コロは毎日毎日やけどした左足をなめて治した。薬をつけてあげはしなかった。自分の唾で殺菌、鎮静、保湿を繰り返していた。私も大抵の傷は唾で済ませていた。古くぎを踏んだときは、傷口を唾を付け、傷口をかなづちでたたいてふさいだ。切り傷などは近くの石垣に生えているチドメグサをつぶして塗った。富山の薬箱があるが、まあ大体は自分で治した。

どの小説だったか忘れたが、柳生の道場で稽古が終わったあと、井戸からくみ上げた水をおけに移し、それに塩を入れて切り傷を洗った、と書いてあった。私も読んでからまねてミネラルが入っている塩を水に入れて傷口を洗った。ここ数年、水道水をあまり飲まない。天然水を飲んでいる。山から取ってきた土を小さな鉢に入れ、水を注いでその水をコップに採って数カ月放置していた。水が腐らない。土壌菌に気づかされて、それを自然水で増やして、その水を保湿のために使っている。かかとの皮膚はかたくならない。皮膚のかさつきも和らいだ。除菌より菌との共生を図っている。医療を否定するわけではないが、近年はかかったのは歯科病院ぐらいである。抜歯したところは痛み止めは飲まないで、手であごをかるくさすって痛みを止めた。右足のモートン病も手で治した。按手というのがあるが、あの按はそっと置く、軽くなでることを意味する漢字である。私は手をそっと置き、軽くなでたり、少し手を離して、ゆっくり動かしながら治した。その時は深呼吸をする。鼻で呼気を吸気ゆっくり深く繰り返す。深呼吸の大切さに気付かされてから、鼻で呼気吸気をゆっくり繰り返す、時には、鼻で吸気、口で呼気をゆっくり深く繰り返す。肺の空気を入れ替えて、血流をよくしている。そうすると体の神経の電気の流れが改善される。体液も改善される。手のひらがピンク色のなれば、その手のから温かい気が発散する。母が腰が痛いと言ったので、手を痛む腰に軽く置いたら、「あんたの手はたぎっとるね」と言った。作業をして体をそのまま冷やせば翌日は確実に痛む。腕の外側は上から下にゆっくりさすり、内側は下から上にゆっくりさすり、足も腰も同じようにすると翌日は体が痛まない。医療は昔、医師だけの仕事ではなかった。むしろ宗教家の働きの一部であった。それをいやしと言った。この数年、私は、驚くほど、いやしいやされる体験をしている。


# by maranatha | 2022-05-03 15:49 | 自然

聖書は愛の教え

「旧約聖書」という言葉は聖書の本文の中にはない。新約聖書の中では、「律法であり預言者です」(マタイ7:12)「モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で」(ルカ24:27)「聖書を説明してくださった」(ルカ24:32)「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは」(ルカ24:44)この聖句はヘブライ語聖書の三大区分、律法(トーラー)5巻、預言者(ネビーイーム)8巻、諸書(カトビーム)11巻と同じである。私たちが手にしている旧約聖書の構成とは違う。私たちが使用している旧約聖書の構成は七十人訳聖書である。「これらは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです」(ヨハネ15:25)ここで引用されているのは詩篇(25:19、69:4)からで、それでも律法と書かれてあるのは、律法が聖書を表す言葉だからである。

「先生。律法に中でたいせつな戒めはどれですか。」そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:36~40)ここには神への愛、自分への愛、他者への愛が語られ、共通するのは愛である。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」が「何事でも、自分にしてもらいたいことは。ほかのひとにもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マルコ7:12)と共通する内容を含んでいる。パウロは愛のいろいろな側面を第1コリント人への手紙13章で書いている。聖書は「愛」(アガペー)の教えである。それは掛け軸用の言葉ではなく、語るだけの言葉でもなく、実践しなければならない言葉である。それは神が求めておられる応答であり、礼拝である。




# by maranatha | 2022-05-03 14:02 | 聖書

何があったの

ある日、池のほとりを散歩した。池の向こう側で魚にエサをあげている家族を見かけた。鳥も集まっている。ところが、エサも何も持っていない私の方にどんどんとコイが集まってきた。鳥たちも集まってきた。それを見かけた人たちが増えてきた。だれもエサを持っていない。誰かが、どうしたんでしょうね。どうしたんでしょう。私も、どうしたんでしょう。

ある時、ハトが私の方に飛んできた。頭の上をすれすれを飛び去って行った。羽音が聞こえた。ハトは危険を回避して飛ぶ。このハトは私を危険と思わなかったことになる。

石垣のそばを歩くとき、温かさを感じるときがある。石を眺めると、鉄分を含んだ石の時が多い。大きな石のそばを通りかけるとき、圧を感じることがある。強く感じるところに手のひらを近づけると、圧があって、手を押し返そうとする。すべてのものには磁気があり、強かったり弱かったりする。磁気カードがよく壊れる人は強い人だ。



# by maranatha | 2022-05-02 08:42 | 自然
宗教問題