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村上 密 Blog

イースター

過越しの祭りは、イエス・キリストの十字架と関連があり、五旬節は聖霊降臨と関連がある。それでは、仮庵の祭りは何だろうか。私はイエス・キリストの受肉と関連があると思っている。イエス・キリストは、十字架の血による赦しの新しい契約を、最後の晩餐を通して教えられた。パウロは聖餐について「あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主の来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」とコリントの教会に手紙を書いている。ここには、イエス・キリストが再臨と結び付けられて、十字架の福音を語り続けるように勧められている。パウロは、洗礼について、「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。・・・必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ6:4、5)と教えている。プロテスタントは、聖餐と洗礼を礼典としている。礼典にはそれぞれ、意味が込められている。礼典が形式化しないために、意味を再確認して過ごすことが大切である。今日はイースター、主の復活祭である。クリスチャンは、キリストの復活と同じようになることを信じてこれからも共に歩んでいく。
# by maranatha | 2021-04-04 23:05 | 聖書

新たな「戦争」

2日の日本経済新聞によると、アメリカの新型コロナウィルス感染者数は3046万0342人、死者数は55万2072人(4月1日現在)である。死者数は南北戦争のよる殉職者数50万人を超えた。アメリカの戦争史の中で2番目の殉職者数は第2次世界大戦の40万人5399人である。世界でも最も医療が進んでいると言われるアメリカで、最も感染者数と死者数が出た。いったいどういうことだろうか。私たちがアメリカに抱いているイメージと現実が食い違いすぎる。生物兵器禁止条約がなぜあるか、今回の新型コロナウィルス感染で身にしみてわかった。どの国々も新型コロナウィルス感染によって受けた人的経済的被害は戦後最大であると思われる。そんな中で、発生源である中国は、感染者数9万0217人、死者数4636人(*4月2日現在)と抑え込まれており、いち早く経済を復興させつつある。米中はいまやなりふり構わず覇権を争っている。アメリカが受けた人的経済的被害は、競争力をそぐことになった。今回の新型コロナウィルス感染で国力の差は一層接近した。世界は二極化しつつある。私たちは新たな「戦争」に突入しているのかもしれない。

中国 コロナ感染死者数 - Bing

# by maranatha | 2021-04-02 22:55 | 政治

ネズミの穴

住まいの近くにネズミの穴がある。それは枯れた切り株の傍にある。ほとんど毎日、楽しみに穴を覗いてそこを通る。以前、銀行の前の庭にネズミの穴があった。そこを取るたびに見ていたら、ある日、目と目が合った。逃げもせずに、よく顔を見せてくれた。誰かがいたずらしたのだろう。ぱったりと見えなくなった。今回のネズミの穴は、なかなか住人が顔を見せなかった。ところが、今日、顔は見なかったが、やっと体としっぽを見ることができた。なかなか大きなネズミだ。どこかに他の穴があるはずだが、それはまだ見つけられないでいる。あまりガサガサすると警戒してしまうので、そのままにしている。
# by maranatha | 2021-03-30 23:39 | 動物

説教は労働か

週刊文春4月1日号を購入した。34ページに、西日本福音ルーテル教会の記事が掲載されてある。「」を抜いて、不正受給、と書いてある。労働問題に詳しい弁護士は「不正受給に当たると言わざるをえません。」と指摘している。宗教法人が雇用調整助成金を申請することに対して、欧州の伝統的な教会を引き合いに出しているが、比較にならないケースを引き合いに出している。「牧師が税金で養われることが非聖書的であると言えないことの証左である」と助成金申請を肯定する発言を教団幹部が発言している。であるなら、なぜ、助成金を返金するのか。常議員会議長は労働局と「労働の定義について認識の違いがあり、返金させてもらったんです」と言っているが、全くおかしな発言である。議長は、説教しないことが、労働しないこと、と発言している。労働局は、説教外も牧師の働きではないですか、と見ている。ヨハネの福音書では「わたしの羊を飼いなさい」(21:17)とある。牧会は大切な牧師の務めである。この牧会をしていながら、これは労働ではない。だから助成金を申請できると自己弁護している。私の理解は、牧師のすべての働きは労働ではなく、奉仕である。牧師は、労働の対価としての「給与」ではない、奉仕に対する謝儀として受け取っている。だから、助成金を申請しない。説教のみを労働とみなす議長の発言は非聖書的である。多くの牧師が教会からすくない「給与」を文句も言わないでいただいているのは、謝儀として受け取っているからである。教会は、労働として常に超過勤務の状態にある牧師の給与請求には高すぎて応じきれない。
# by maranatha | 2021-03-30 21:38 | 教会

知恵を求める

マタイの福音書21章は、いわゆる「王の入城」と言われるところである。その前の20章には「これから、わたしたちはエルサレムに向かいます。」(18)とある。その言葉の後で、イエスは十字架と復活の予告をされた。にもかかわらず、ゼベダイの子たちの母が「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」(21)と求めた。これに弟子たちは憤慨した。実は自分たちもそれを願ていたからである。人は欲が深いと思慮分別を失う。彼らの願望は政治的メシア王国である。受難のキリストを微塵も理解していない。イエスは目前に迫ってきた十字架を前に、弟子たちに深い失望を持たれたことだろう。この弟子たちの再起にはペンテコステを待たなければならない。聞こえていても聞きとれていない。見ていても見えていない。このような体験はだれしもある。そう、意識が違うことに向いているときである。思い込みも、正しい判断ができなくなる要因である。どうしたら、私たちは私たちの欠点を克服できるのだろうか。私は、信仰を持って以来、正しい判断ができるように知恵を求めて来た。今も求めている。これからも求めていく。
# by maranatha | 2021-03-29 23:11 | 信仰
宗教問題