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村上 密 Blog

カイロスの会 引きこもり回復支援

2005年から毎月定期的に沖縄に行くようになった。教会のカルト化の被害にあった人々の回復支援としての取り組みである。あれから19年が経った。カイロスの会は、その回復支援の一環として有志の集まりで始まった。昨年、カイロスの会の集まりで、引きこもりの人の支援も必要ではないかと話し合い、支援活動を今年の1月から始めた。毎月1回のペースで、今月は17日がZOOMによる集いである。

今後の日程は下記を参照
カイロスの会 引きこもり回復支援
https://kairos850.ti-da.net/

# by maranatha | 2024-05-14 22:54 | カイロス

オンライン集会

                

≪心を健康に育てるために考えるべきことは≫
2024年5月11日(土)午後1時から3時半

 昨年の11月にオンライン併用の2日間のセミナーを開きましたが、今年度も同じよう
な趣旨で2回の集会を開くことになりました。
 1回目はオンライン限定の半日のセミナーになります。(2回目は、11月16日~17日
  の2日間にわたり集会を開く予定です(対面&オンライン)。
 クリスチャンに限らず、すべての人に大切な課題をテーマとして取り上げて、皆様と分
かち合うことができればと願っています。
 今年度は、村上密師、パスカル・ズィヴィー師、そして鈴木茂師、敦子姉が講師として
奉仕をさせていただきます。
 参加費は無料です。気軽にご参加いただければ幸いです。
講  義

講義1:『警告』 講師:村上密師
 内容:「自称使徒、バラムの教え、自称預言者、自称私は黙示録2章3章から「警告」に
ついて話したいと思います。「自称使徒、バラムの教え 、自称預言者、自称ユダヤ人に初
代教会がどのように振り回され、あるいは見抜いたか。現代に共通する状況を、今日の教
会がどのように聖書から学び、対応するかを学びます。」
講義2:『「強力なリーダーを求めることの危険性(The dangers of seeking strong leaders
」)』
    講師:パスカル・ズィヴィー師
講義3:『良き心の管理者となるために』:副題『心の水面下の回復と過去の負(傷など)の
影響からの回復を求めて』 講師:鈴木茂師
  内容:「神は心を大切な園として知恵深く管理するように私たちに願っておられる(箴
言4:23)。心の水面下(無意識の領域は90%を占めていると言われています。)には、
無意識のうちに取り入れてしまった間違った考え方、価値観、傷、また家族を特徴づけて
いた負の現実が存在しています。それらが、今の私たちの態度や姿勢、言動に負の影響を
及ぼしていることがよくあります。継続的な心の刷新のためには、どのような取り組みが
必要でしょうか。このようなことについてともに考える機会となれば、と願っています。
*30-40分の講義の後、15分~20分の質疑応答の時間を取ります。

講師紹介

①村上密師
1955年熊本県生まれ、1980年中央聖書学校(現中央聖書神学校)卒、高槻市で
5年、宇部市で1年、京都市で38年、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に所属する
教会で奉仕。異端、カルト、カルト化教会、教会規則から逸脱した教会運営をする教会の
問題に取り組んできた。教会形成は聖書の学びを基本に取り組んできた。社会に対しては
、社会問題化した宗教問題と家族カウンセリング、入信者へのカウンセリングに取り組ん
できた。イエス・キリストの教えと癒しに倣って、44年間奉仕してきた。
② パスカル・ズィヴィー師
1957年、フランスに生まれる。 19 8 0年に来日。筑波でバートンリレイス宣教師
、稲垣守臣牧師に出会い、クリスチャンとなる。カルト問題に直面しカウンセリングに携

わるようになり、19 9 4年、「マインド・コントロール研究所」を設立。現在、同研究所
所長
③ 鈴木茂師
  1961年に徳島県に生まれる。1981年、米国オレゴン州にあるルイーズ・アンド
・クラーク大学に在学中にクリスチャンになる。大学卒業後、オレゴン州にあるウエスタ
ン・コンサーバティブ・セミナリーで学ぶ(TH.Mでの研究は、パウロ神学)。
 1992年からは仙台バプテスト神学校の講師として教鞭を取る。1994年からは、
仙台バプテスト教会の牧師として仕えておられる。ライフワークとして、霊性神学と霊性
形成に取り組んでいる。
集会のリンク:5月11日(土)12時50分頃から入室できるようにいたします。
トピック: 大切なことを考える集い(オンライン限定)
時刻: 2024年5月11日 01:00 PM 大阪、札幌、東京
参加 Zoom ミーティング
https://us02web.zoom.us/j/86899903792?pwd=czBKREVKa2hNUGlJdW54VWtQcGlPUT09
    ミーティング ID: 868 9990 3792   パスコード: 279390
*ご連絡は、私(鈴木茂)にお願いいたします(shigsuzuki3@gmail.com)
                             2024年5月11日
                             村上密
                             パスカル・ズィヴィー
                             鈴木茂

# by maranatha | 2024-05-10 22:27 | 教会

音の力

第1サムエル記にはサウルとダビデへの油注ぎが書いてある。油注ぎは神の霊が注がれることを表している。王は油が注がれて王位に就くことができる。神の霊の助けなしに王の働きをすることはできないことを示している。サウルは油が注がれて預言を語った。ダビデは竪琴に癒やす力をいただいた。サウルのために竪琴を引くことになったダビデは、サウルの近くで王のすべきことを学んだといってよい。預言者の集団が楽器をもっていたことが記録されている。ダビデは礼拝改革を行ったとき、祭司たちが楽器を用いるようにした。しかも、礼拝を指導していく祭司のリーダーたちはレビ人で預言者であった。宗教はしばしば音楽と切っても切り離せない関係になる。

興味深いことは、竪琴が癒やすのではなく、神の霊が注がれた後のダビデが竪琴を引くときに力が現れている。近年、音楽がヒーリングに用いられている。特にモーツアルトの音楽が用いられている。彼の曲が出す周波数に注目が注がれている。絵本の世界では、セロ弾きのゴーシュが有名だ。セロの響きが子ネズミを癒やす絵本だ。昔その絵本を読んだとき、そんなことがあるのかな、と思っていた。今は楽器に効果があることがいろいろ証明されてきた。

小さな砂粒を鉄板の上にのせて、周波数を出す装置を小さな砂粒を乗せた鉄板につなげる。さまざまな周波数で砂粒が動き、模様を描き出す。なんと不思議なことだろう。モーツァルトの曲が出す周波数はどんな模様を描いてくれるのだろうか。

5年ほど、私が興味を持っているのは、光、波長、磁気、生体磁気、雲、雨、気流、波、周波数である。

# by maranatha | 2024-05-05 22:21 | 聖書

ほっこり効果

私のブログの記事は、宗教トラブル相談センターへの相談が反映されている。基本、問題を扱っているので、楽しい記事ではないが、啓発を心掛けている。読者から、動物の記事をもっと書いてくださいと連絡があたりすることもある。深刻な問題を続けていくためには、気持ちの切り替えを上手にして、精神の安定を心掛けなければならない。私にとって動物たちはいやしに役立っている。今年の初めごろから、耳がよくなっていたのか、小さなものが落ちたとき、物がぶつかったときの衝撃波を以前より聞き取ることができるようになってきた。動物たちは、物音に敏感だ。私も敏感になってきた。つい最近、ネコと目が合った、ネコはあまり目を合わせようとはしない。横を向いて、こちらの動きに気を配っている。そのネコは目を合わせたので、私があごを上にあげると何事かと注意を向けてきた。何度も繰り返したが、目を離さないで、どこかに去ることもしないでその場にいた。ささやかな動物との遊びの時だった。
# by maranatha | 2024-04-26 21:04 | 宗教トラブル相談

監督責任

教団に属する牧師が問題を起こした。役員会が牧師の問題を正しくさばくことができるだろうか。長老制の運営のしっかりしている教会であれば、それもできるだろう。牧師の権威を強調する監督制の教会や権威主義の教会形成をしている教会では、どの教団に所属していようがいまいが無理な話である。権威主義の教会では、役員は牧師に問題があってもしっかり意見を言う人はいない。意見を言えるような人はすでに教会を去っているか追い出されている。あるいは、問題を扱おうとした時点で追い出され始める。

今まで、私は牧師の問題に取り組んできた。問題の相談が私の所に来ること自体が教会に自浄作用がないからである。問題は牧師の権威主義による深刻な精神的な虐待であったり、経済的な搾取であったり、時には性的虐待の被害者であったりする。被害者の話を聞けば、いずれも役員会が機能していない。牧師を支えることを使命と思い込んで、間違った牧師を支えることも使命と勘違いしている。正しい牧師と支えるのは問題ないが、正しくない牧師を支えると、時には犯罪のほう助となることもある。そうでなくても、牧師の問題が裁判で明らかになった場合、牧師の辞任で済むわけではない。辞任するほどのことを支えたのだから、役員たちも辞任してしかるべきである。ところが、辞任も責任も感じないほど役員たちが厚かましく留まる場合がある。外科手術は腐った部分の切開が遅れると体全体にえそが広がる。牧師の問題を役員会が正せない時点で、役員会は牧師の加担者に堕していることになる。

役員会が牧師を正せないことに触れたが、実は教団も牧師を正せないで放置し、問題が表面化することがよく起きるようになった。教団の運営者はうわさでは動けないが、内部告発や被害者の訴えでは動かざるを得ない。ところが、被害者が訴えても、証拠を提示しても動かない運営者たちが増えている。問題の先送りがよく使われている。訴えた人の諦めを待つかのような対応は良心の欠如である。政治的な妥協と人間関係を利用して教団の運営者にのしあがった人物たちに、正しい判断ができようもない。できるのは、いかにしたら自分の特になるかである。あるいは自分の損害を回避できるかである。このような人物たちを見続けてきた立場として、できることなら組織内で解決を願いつつも、民事や刑事裁判に訴えざるを得ない状況が生じている。これは被害者に大きな精神的、経済的負担をかけることになる。裁判で監督責任まではごく少ない。しかし、問題の多くは監督責任の放棄状態が生み出した問題である。統治が健全であれば、そこに住む人々の人権と財産、思想信条は守られる。よい牧者がいれば羊は安心して過ごせるはずである。

# by maranatha | 2024-04-23 16:00 | 教会
宗教問題

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