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村上 密 Blog

いただいたものと受け継いだもの

今年は病気の母を見舞うために熊本によく出かけた。母は段々語ることが減ってきた。私は顔を見せるのが親孝行と思い、仕事の合間を縫っては会いに行った。元気な内に、会話ができる内に、と訪ねる理由は変わってきた。母が88歳の時だったか、ひそか、もうあんたのためにぜんざいを作れんようになったばい。家事全般は孫娘がやっている。家に帰れば、いつも母がぜんざいを作って待ってくれていた。おもさん、たべなっせ。何杯も食べた歳もあった。段々歳を重ねて、おっかさん、もうそぎゃんなたべれんようになったとよ。なら、明日またたべなっせ。何十年も繰り返してきた母子のやり取りが終わった。父が厳格な人で反発し、不良になってやるか、と思った時期があった。やさしい母の涙を見たくないため不良になり損ねた。両親から無量の愛を受けたことが歳を重ねると分かる。いつのころからか涙もろくなった。あるがたい(りがるになる)と独り言を言ったりする。子供のころは、同居していたおかよおばあさんが、あるがたい、あるがたい、と言っていた。何があるがたいのか、そのころは分からなかった。今はわかる。何もなくても、生かされていることがあるがたいのだ。手を引かれていたころを思い出す。お地蔵さんの前で、まんまいさん、まんまいさん、あ、と立ち止まってはよく祈っていた。母もそうだった。神仏をうやまうことを日々の生活の中で教えていたのだと思う。大人が唱える言葉ではなく、子供に聞かせる言葉だからだ。お地蔵さんは今もそのままの場所に鎮座している。どうも江戸時代からあるらしい。私の宗教心はおばあさんと母から受け継いだ。
# by maranatha | 2023-12-30 18:24 | 故郷

向かい合う

子ネコが無邪気に母ネコのお乳を吸っている。しかし、母ネコは病気だ。ひきつけを起こしている。何か自分にできることをしてあげようと、おいで、と呼びかけて手当を試みた。私の前に両足をそろえて、しかり私を見ながら、ひきつけを堪えていた。端正なネコだった。数日後、この母ネコが建物の隙間で死んでいるのが見つかった。死を迎えるまで子ネコにお乳をやっていたことだろう。子ネコは近くの人が育て始めた。このことをなぜ書くことにしたのか。子ネコを育てる本能に心を揺さぶられたからである。私たちの身近にはさまざまな動物が生きている。見過ごさないで、関わることで、相手から何かを学ぶことがある。この母ネコはその端正な姿で、ときどき私のまぶたに浮かんでくる。私は無力だったが、母ネコは私と向かい合ってくれた。その姿が私の心を打つ。そして、私は何度もこの母ネコを思い出しては涙を流した。私は人の相談に乗るのが務めである。困った人は向かい合ってくれる人がいて慰められ、生きて行こうと、心を切り替えることができる。
# by maranatha | 2023-12-30 17:33 | 動物

大切な存在

コロが死んだ。父がダンプをバックさせているとき、具合が悪かったコロはよけきれずに、ダンプの後輪に敷かれてしまった。近くにいた私は、泣きじゃくり、コロを段ボール箱に入れて、自転車の荷台に乗せ、家の墓に向かった。持ってきたスコップで墓の一角に穴を掘り、コロを埋めた。家に帰ると、父がどこへ行ってた、と聞いてきた。家の墓に埋めてきた、と答えた。中学生の時だった。今でも故郷の野山を一緒に走り回ったことを思い出す。コロと呼ぶと、どこからともなく尻尾を振りながら走り寄る姿が目に浮かぶ。喜びと楽しみを惜しみなく提供してくれたコロ。私の人格形成に深くかかわった存在。人間だけが人格形成にかかわるのではない。共に過ごした存在が人格形成にかかわるのだ。そして、今も私の心の中で生き続ける。
# by maranatha | 2023-12-30 14:49 | 動物

セミナー会場の変更

諸教会の皆様

先日、案内しました11/18-19の宗教トラブル相談センター主催セミナー「健全な信仰を求めて」について、

会場が変更になりましたのでお知らせいたします。

 変更前) 11/18仙台バプテスト神学校 11/19仙台聖書バプテスト教会

 変更後) 両日とも仙台聖書バプテスト教会

なお、当セミナーについては鈴木茂牧師(shigsuzuki3@gmail.com)宛に直接お問い合わせくださいますよう、

お願いいたします。


# by maranatha | 2023-11-10 13:26 | 教会

飛び交う情報

知りえた情報には事実が含まれる一方、事実ではないことも含まれる。聞いた人がそれを正しく分けることができなければ、知りえた情報を誰かに伝えるときうそが含まれることになる。伝えるとき、うそが含まれるなどと伝える人はいない。これは本当だと思う、と伝えるかもしれない。本当と本当を思うは違う。本当と思うはうそが含まれているかもしれないと言っているようなものである。しかし、聞き手が情報を正しいかどうか判断できなければ、次にほかの人に伝えるときはうわさ話程度になって、信頼できる情報ではもはやなくなっていることになる。知りたい人々にとって、なんでもいいい。その話に飛びついて自分の思いを付け加えて話を広げるならば、無責任である。伝言ゲームが最後の人に正確に伝わることはなかなかないことである。もし、情報が飛び交う中に自分がいたら、早くそこから出た方がよい。無責任な情報を流しているとはだれも思ったりしない。しかし、正確な情報でなければ、無責任な情報と思わなくても情報を流す人は無責任である。

# by maranatha | 2023-11-07 23:46 | 心理
宗教問題

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