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村上 密 Blog

『北越雪譜』を読む

『北越雪譜』(岩波書店)を読み進めている。「鮭の洲走り」は興味深かった。琵琶湖の知内川には数えきれないほどのハスが所狭しと泳いでいる。橋の上から見るとその多さに驚くばかりである。ある日、眺めていると釣りたくなったが、釣るものもなく、川のほとりを歩いていたら、防鳥ネットが打ち捨てられていた。網目が大きいので二つ折りにして、罠にした。この罠にハスを追い込んで捕ることにした。何匹かを捕ったが、やがてネットを飛び越えて、罠にかからなくなった。そこで、今度は防鳥ネットを二列に仕掛けた。飛び越えたハスが次のネットに引っかかった。「鮭の洲走り」は罠にかからんとして鮭が雪の河原を走る様を言い表している。転んだら立ち直れないので、雪の河原で鮭を捕ることができる。罠を逃れんとしてネットの上を飛び、或いは川の外に飛び出て、雪の河原を走る魚の必死さに、生存本能を垣間見た。人もいろいろな間違った教えに囚われる。間違いに気づいたら、囚われから逃れんとして行動を起こしてほしい。
# by maranatha | 2021-11-03 22:19 | 動物

故郷の秋

緊急事態宣言が解除されたので、故郷の母を訪ねた。もうすぐ91歳になる。まだまだ元気で、朝の散歩をしている。朝6時に起きて、母と近くの公園に散歩に出かけた。公園のフェンスの近くの低木につるがからんでいるので近づいてみた。まだ緑色だが、エビヅルだ。子供の頃に見かけたが、嬉しい発見だ。きっと、鳥が食べて、ここに種を落としたのだろう。家に帰ってから、今度はひとりで父の墓に向かった。九州を襲った台風の影響だろうか。どこの墓の供養花も枯れて吹き飛ばされていた。墓の掃除を終えて隣を見ると、植木屋さんの畑にみかんの木がたわわに実をつけ、墓の敷地に枝を垂らしていた。故郷の秋を散歩しながら楽しんだ。
# by maranatha | 2021-10-14 10:49 | 故郷

創世記3章

Q:創世記2章で女は男のふさわしい助け手としてつくられたと書いてあるのに、どうして、社会には男尊女卑があるのですか。
A:創世記3章によると、人の堕落の結果として、女に「彼はあなたを支配する」と書いてあります。堕落が支配被支配の原因です。
Q:カルト化した教会で、エバがアダムを誘惑したからと言って、女性をさげすむ傾向があるのですが、どう思われますか。
A:とんでもないことです。アダムは、エバが誘惑されるとき、傍にいたのに食べるのを注意しないで、エバが食べた後に善悪の知識の木の実を食べました。エバが誘惑されたのは神の戒めを正確に知らなかったからです。アダムが正しく伝えなかったのか、エバは正しく覚えていません。アダムの罪のゆえに大地が呪われます。
Q:キリスト教としては支配被支配の関係をどのように考えたらいいのでしょうか。
A:キリストによって罪を赦していただいたのですから、支配被支配の関係ではなく、本来の良き助け手として受けとめることです。助け手は劣った補助的なものではなく、互いに愛し合い、対等な補い合う関係です。聖書の中には、所所に男性に勝る女性の活躍が出てきます。助け手は男性の能力を上回ることもあります。人格を尊重し、その人の能力も認めることです。

# by maranatha | 2021-09-25 21:53 | 聖書

使徒の働き13章

Q:13章からは異邦人伝道が始まりますね。
A:アンティオキア教会は、聖霊の語り掛けに応答して、バルナバとサウロを派遣します。
Q:「送り出した」が2回あるのですが。
A:よく気づかれました。この派遣が教会と聖霊が一致してことを教えています。
Q:キプロスでサウロがパウロに呼び名が変わっていますね。
A:ペテロは小石、パウロは小さな者という意味です。謙遜な呼び名です。
Q:肩書を誇る人には気をつけなければなりませんね。
A:そうですね。
Q:13章は長いので、もっとも重要と思われるところを教えていただけませんか。
A:そうですね。16節から41節までが、会堂におけるパウロの奨励です。
 パウロはイスラエルの歴史の中に流れる神の救済史を簡潔に語っています。
 42節に同じことを次の安息日に語ってくれるように人々がパウロに頼んでいます。
 彼らはこの奨励が自分たちにとってどんなに大切かわかったのです。
 多くの人々が信仰に入りました。この奨励の中心的な教えは、
 「このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。」(38)
 「この方によって。信じる者はみな義と認められる」(39)です。
 パウロはこの奨励を受け入れて信じた人々に勧めます。「神の恵みにとどまるように」(43)。
Q:「とどまる」はヨハネが福音書で何度も書いていましたね。
A:イエスは、「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているように、
 あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。」(15:10)
 「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。
 わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を
 その人に現します。」(14:21)と語られました。
Q:「戒め」とは何ですか。
A:それは「あなたがたは互いに愛し合いなさい」です。これは次の2つのことばを一つにした教えです。
 「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
 ・・・あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(マタイ22:36,39)
Q:どうして、2つをひとつにした教えですか。
A:互いに愛し合いなさいは、あなたの隣人を自分自身のように愛しなさいと共通する教えです。
 また、わたしの戒めを守ることはわたし(イエス)を愛することで、それは、イエスを
 遣わしてくださった神を愛することだからです。
 新しい戒め、互いに愛し合いなさい、これを心にとどめて行いましょう。
 

# by maranatha | 2021-09-23 23:30 | 聖書

故郷が呼んでいる

来月は、緊急事態宣言が解除されそうなので、故郷行きの航空券を購入した。購入した翌日に電話があったので、チケットを買ったことを告げた。11月が来れば、母は91歳になる。父が66歳で召された時、お母さん、お父さんの分まで長生きしてね、と声をかけたことを思い出した。私は4月に66歳を迎えて、父が召された歳を迎えた。父は、家族のために一生懸命に働いて、66歳で召された。私は父の短命を不幸とは思わない。父はおれは村一番の幸せもんだと言って召された。私は困難を乗りこえて生涯を終えた父を尊敬している。父は、死を目前にして、ベッドの周りにいた家族や親戚の者たちの前で、キリストを救い主として受け入れ、キリスト教式の葬儀を私が行うことを受け入れた。私は村(*)で初めてのキリスト教式の葬儀を執り行った。だれも反対する人はいなかった。それどころか、親戚のおじとおばが、キリスト教の葬儀をしてほしいと言ってきた。おじはやがて信仰をもって召された。約束通り、千葉でキリスト教式の葬儀を執り行った。父の葬儀には500名ほどの会葬者があった。ビルの3階の広い部屋が告別式会場、入りきれない会葬者を2階の和室二間と広いリビングに入っていただいた。それでも入りきれない会葬者が玄関の外の駐車場や道にあふれた。父は、私が故郷に帰ったら、ここを教会として使えるように広く部屋を作った。私はまさか父の告別式会場として使われようとは思いもしなかった。その後、兄は故郷で教会を建てるならと、総合運動公園を見下ろす小高い丘の上に300坪の土地を用意してくれた。私はおそらく故郷に帰って教会を建てることはないだろうから、気持ちだけいただいておくと告げた。最近、大きな保育園の園舎を建てた。何とその建物の中に会堂として使えるスペースを作っていた。そこは小高い丘の麓の広い場所だった。ここでキリスト教の集会ばできっぞ、使ってよかけんね。墓にも入れるように大きな墓ができてる。親子二代で、私が故郷に帰えれるように備えてくれている。ある時、家族に終えんの地は、山の洞窟にしたい、と告げたら迷惑と言われた。それ以来、葬儀は残った者たちのしたいようにと任せた。隠とん癖が心の奥にあるのを抑えてこの歳を迎えた。もし、途上でキリストに会わなかったら、どこかで野垂れ死にしていたかもしれない。しかし、神はあわれんで私を救い、47都道府県をめぐって福音を伝えるように生かしてくださった。倒れるどころか、生きて人の役に立つ人生を送らせていただいた。ありがたいことだ。

*市の合併して大きな町となっても村と呼ぶ

# by maranatha | 2021-09-23 09:00 | 故郷
宗教問題