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村上 密 Blog

カルト化予防

今日から沖縄だ。定期的に通い始めて20年。沖縄にある教会がカルト化して、多くの被害者を出した。その心のケアのためにセミナーが開かれた。それがきっかけで毎月沖縄通いとなった。私は、セミナーを繰り返し、カウンセリングを継続してきた。関わりつづけてきた人々が落ち着いた信仰生活を送れるようになったことは喜びである。20年経ったので、当時小学生だった人もとっくに成人を迎えている。継続は力である、何か昔の受験講座のようなセリフだが、確かに継続は力である。沖縄通いを始めたころ、ムーブメントの真っ盛りの時代だった。多くの教会の牧師と信徒が吟味もしないで超教派の聖会や大会に出席し、良くない影響を受けて混乱していた。当時忠告しても耳を貸さない人が多かったが、今は沈静化して、招かれた講師たちの不祥事が頻繁に報道されて、間違っていたことがわかってくるようになった。教会のカルト化予防の取り組みも継続してきた。
# by maranatha | 2025-05-15 12:42 | カルト化

温泉浴、森林浴、日光浴

昨日、日光に到着した。夜温泉で入浴し、今朝も入浴した。朝の散歩で森林浴も楽しんだ。もうないだろうと思ったら、道の駅から下今市駅までの道を歩いて日光浴になった。欲張らないでゆとり(湯とり)を持った日程にしたので体調も守られた。明日は一日休息し、あさってから沖縄に行く予定である。4月末から続いている巡回も来週半ばで一段落する。
# by maranatha | 2025-05-13 16:20 | 自然

ネコとハト

小学生の低学年ごろまで、わが家にはネコがいた。ときときネズミを捕って来て、私の目の前でそれを放し、また手で押さえつけたりして捕って見せてくれた。ネズミを捕り方を教えているのだろうか。時にはトカゲを捕ってくる。これも同じようにする。忙しい両親に代わってネコが私は育ててくれた。ときどきいなくなると、どこへいたと、猫山に行ったとと母が言った。やがて何事もなかったかのように帰って来て同居を続けてくれた。そのネコが私が一緒に暮らした最後のネコになった。

中学生の頃ハトを飼った。何羽かいたハトの中でピーがいた。ひなから育てたハトで、遠くまで飛べなかあった。ハト小屋から屋根に向かって飛ぶくらいで、空をゆうゆうと飛ぶ姿を見たことがなかった。そんなピーだったが一番かわいかった。普通は早く飛べるハトをかわいがる。しかし、私にはあまり飛べないハトがかわいかった。神の選びと言うものは、何かができるからではなく、何もできなくても、愛し、選んでくださる。

# by maranatha | 2025-05-13 14:56 | 故郷

いのちをかける働き

統一教会に入信した21歳の頃、いのちをかけるものがほしかった。その頃、入信した青年たちはそれこそすべてを捨てて信仰生活をしていた。それを見て、自分もいのちをかけるものを見つけたと思った。しかし三か月後に間違いに気づいてみると、搾取され、犠牲者だと気づかれないように仕組まれていたことに気づいた。犠牲が多ければ多いほど崇高な精神に近づいていると思い込んでいた。だからこそ、脱会してから、入信している人をそこから救い出したい気持ちに突き動かされた。異端の人は、福音を伝える対象ではなく、忌むべき存在とみなされていた当時、私はそこの出身であるために、そうは思わなかった。真理を求めて迷た人々と思い、正し福音を語り続ければイエスこそ救い主と信じるはずだと希望をもって取り組んだ。そして多くの人々が救われていった。そして、救われた人たちの中から福音を伝える人たちが起こされていった。人をどう見るか。救われがたい人と見るか、神がこの人も救われるように願っておられると思うか。
# by maranatha | 2025-05-13 14:34 | 異端

癒やし

真っ暗な部屋で目をつぶると真っ暗である。ところがあごの下に手のひらをかざして深呼吸を繰り返すと、私のまぶたには明るい赤が映る。可視光線の赤の外の赤を見ているようである。私はよく手のひらをからだの痛みのある人にかざす。すると、手当を受けた人の中で、癒やされましたと聞くことがある。どんなことがからだに起きたかと聞くと、温かくなりましたと答えが一様に返ってくる。赤外線を浴びたように体の芯が温かい、からだの中を微弱な電流が流れたとも言われる。赤外線や近赤外線、遠赤外線は育成光線とも言われている。だれの手のひらからも出ている。強いか弱いかは深呼吸にあると私は思っている。目の痛み、充血、眼圧の異常などしばしば癒やされるのを見られた高齢の人が、耳がもっと聞こえるようにしてくださいと申し込まれるが、耳はなかなか難しい。頭痛はよく癒やされる。肩こりの癒やしのためにタオルを使うこともある。タオルを両手に握って気を込める。そのタオルを肩にかけておくとポカポカになって肩こりが消える。みるには、見る、観る、看る、診る、視るがある。看るは手編に目である。からだの患部を手で見ることを指す。私も手で見ることができるようになった。この見るは感じると置き換える方がわかりやすい。からだに手のひらをかざすと、手のひらに相手のからだから流れてくる気を感じ取ることができる。
# by maranatha | 2025-05-13 13:26 | 自然
宗教問題

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